久しぶりにCDをレンタルしたので、恐る恐るiTunesが入っている方のPCを立ち上げてみる。
ACアダプタに繋いで電源を押しても、長押ししてもうんともすんとも言わない。 充電が完全になくなってしまった状態では、起動の力もなくて立ち上がることさえできなくなることがある、と何のきっかけで教えてくれたのかは忘れてしまったけれど、そんなことを思い出して「大丈夫」と言い聞かせながら歯医者に出かけた。 歯が痛いとか検診の予約が入れてあったとか、そういうことではない。 2か月ほど前、前に行った歯医者さんからそろそろまた検診とクリーニングにいらしてくださいね、というハガキをもらっていたことと、なんとなく暇で。 さて思い立って前に行った歯医者さんではなく近所の歯医者さんに電話をかけて、可能であれば今からお伺いできますかと連絡を入れた。 今すぐであれば大丈夫です、と言われて5分後に診察室へ。 歯は丈夫な方らしく、とりあえず現状では特に何にも問題がないとのことだった。 親知らずが顔を出しているのでもし痛みが出たり、気になるようであれば抜くのも一つでしょう、というのは前の歯医者さんでも同じことを言われた。 身体が比較的丈夫であることはとてもありがたいことで、そういう場合よく「健康に身体を持たせてくれた両親に感謝したい」というようなことを一般的に聞くけれど、それも確かにそういう面もあると言えばあるのだろうけれど、となると身体が弱い場合や病気になったときには両親を恨んでしまうのだろうか。 それはなんだかなあというか、現実にはあまり関係がないことの方が多い思うので、私は体が丈夫であることに対して特別に両親への感謝をしたことはない。 家に戻って電源ボタンを押すとPCはゴゴっという音を立てて起動した。 色んな更新ごとが滞り溜まっていたようで、私は自分の機械への苦手意識にいちいち少しの緊張をしながら、焦らず、焦らず、と操作の重たいPCのアプリケーションの更新を続けた。 もう一つの常用しているPCの方の熱烈に煩いWindows10へのアップデートはなぜか出てこなかった。 結果的に問題なく、借りたCD十数枚を取り込んで、アルバムのアートワークも入れて、iPhoneとの同期までが完了できた。 新しいPCを買おうかどうか検討していたけれど、いやたぶん寿命は近づいていることは言うまでもない、感触としてはまだいけそうだなという感じだったのでしばらく買わないだろう。 それよりも良さげなアンプかナイロン弦のアコギが欲しい、一過性のことかもしれないけれど。 「本日は、お日柄もよく」を読了。 感動を呼ぶスピーチライターの話なので、物語として最後は感涙拍手喝采の盛り上がりがあるのだろうか、と久しぶりに小説を読んで久しぶりに終わりが気になった小説だった。 最後はあっけなかったけれど、原田マハさんという作家の清々しさの余韻が長持ちするような終わり方だった。 先日も少し書いたけれど、やっぱり”上質”というよりは”良質”な感じがした。 言葉の定義の話は難しいところだけれども、おそらく“上質”には、先立って既にある「高級感というイメージ」や「高級であるとされている様式美」が必要なように思う。 ちなみに私は、先立って既にある「高級感というイメージ」はあまり好まないけれど、「高級であるとされている様式美」については往々に好きだ。 一方で“良質”には「ただ良い」ということが存在し得るように思っている。 そういう意味で“良質”な感じがした小説だったし、私は私にとって“良質”なものが好きだなあと思う。 20数巻のジョジョはまだ返していないけれど、これは借りて2週間ほどで返せそうである。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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