時々、司法試験や税理士や一級建築士の試験のために字を直したい、という方がやってくる。
私は別に速記を教えるのが仕事というわけではないのだけれど、その人の字について何がどうなっているのかはまあまあ的確に言うことができるのでアドバイスはできる。 字が判読できない、というのは、人に何かを伝える記号である字にとって確かに致命的だ。 字そのものを把握している場合、字が判読できない、という理由は大まか二つの理由があると思っている。 一つは、速書きしているが故に線が飛んで自己流の省略になってしまうこと、もう一つは、線と線がつながる連綿が多く起きてしまうこと。 その他、字が小さい、字間がとても狭い、用紙の罫線と字の線がかぶっている、ということもあるが、私がいろいろと拝見したところでは先の二点が主な原因である。 しかし、回答は一字でできているわけではないので、前後の文脈やその内容を知っている人であれば類推できるものが多いと私は思っている。 いやでも、確かに読めない、という字があるにはあることも知っている。 彼らが言うには、字が下手だと採点を行う試験官の印象が悪くなって、そもそも答案を読んでもらえないかもしれない、読まれても試験官の気持ちが無意識に下がって良くない点数を付けられてしまうかもしれない、らしい。 判読不能、というのは確かにどうしようもないことだけれど、読めないこともない字がやや読みづらいからと言ってそんなことが起きるなんて悲しい、と私は思う。 しかしながら、そのようなことがなくもないだろう、ということは私にも想像がつく。 字がきれいなことで損をすることははっきり言ってないだろう。 そしてその逆であることで損をすることは、たぶん、おそらく、この社会においてあるだろうと思う。 事実、「採用試験で同じくらいの能力だったら、履歴書の字がきれいな方を採用してしまうかもしれない」と某会社の社長の発言は一社に止まらず聞いたことがある。 「字がきれいだとできる人に見える」「良い人のように思える」ということも度々耳にするものだ。 本人がそれを気にするか否かでそれが悩みになるかどうかは変わってくるとは思うけれど、他人本位の目で見てきっと何らかの印象は付けられてしまうものだと思う。 実際のところは、試験官の本音や無意識の意識を知ることなど不可能なので、字のきれいさが点数にどの程度反映されているかは未知数である。 加えて、論文は数学の回答のように一つではないだろうから、試験官との考え方の相性ということも多少はあるであろうし、もういろんなパラメータがありすぎる。 それに、確かに彼らの字には読みづらいという点が散見されるということも事実ある。 それにしても、本当に優秀な能力があるならばそれが字のきれいさによって淘汰されていくなんて、試験方法を見直した方が良いとしか思えない。 公平性を期さなければならない国家試験でどうしてそれが問題になってしまうのだろう。 こんなにIT化が進んだ世の中で、どうして国家試験が腱鞘炎になるほどアナログに字を書かなければならないのだろう。 確かに字は焦ると乱れる方向に進むので、誰もが時間に追われる試験の中で、余裕のある回答をできるほど優秀な人材をふるいにかけているのかもしれないし、焦っても乱れない精神までもが問われているということなのかも知れないけれど。 ん、ということは手や体に何らかの字を書く障害を持っている人は弁護士にも税理士にもなれないということだろうか。 速記ができなくとも、弁護能力や会計能力が長けていれば十分に、自分に、他人に、社会に、有益な仕事になるのではないのだろうか。 まあ私がこんなところでその制度について文句を言っても仕方がないので、その人の字の癖をまずは把握してもらうことと少しでもよく見える方法をさまざまな側面からアドバイスするしかない。 「E」の最後が罫線とかぶってしまって「F」と間違えられてしまうかもしれない、もう一回り字を大きくした方が良い、「義」の10~11画目を自己流に省略しない、この箇所に書くときは細心の注意を払って真っすぐ書くように、文末の「す」「た」は大きめに書くと自信があるように見える、あと1センチくらいペンを立てた方が良い、シャーペンの芯が平らになると太くなるのでペンを回すと良い、「1」は字間を少し広めにとらないと読みづらい、などなどなどなど。 実際の模擬試験の回答用紙そのものに沿って、考えうることを細かく取り出す。 結局、無意識で改善されるということはないので、練習も必要だし、時間のない試験の中で少しだけでも字のことを気にしてもらう必要はある。 そしてそれである程度は皆良くなる。 そこから先、「きれいな答案づくり」なんてものにはたとえ書家であってもキリがないので、できるところまでを試験勉強とともにやっていくしかない。 字を気にしすぎて内容が疎かになっては本末転倒であるし、バランスを探るしかない。 今日は精神面にまで話が及んで熱くなってしまった。 というか、結局のところ、緊張と焦りで読めなくなっていることも多いわけで、別のところが原因になっていることも多いものである。 人生がかかった試験を経験したことがない私が偉そうなことを言うのもなんだけれど、やっぱりその人の願いは叶うといいなと思う。 何だか身を乗り出して応援している自分がいる。 「カルテット」は総じてとても面白かった。 最終話よりも前回の方が良かったけれど。 社会風刺もあり、あれが所謂家族という枠組みでない現代の人間関係の理想なのかもしれない。 確かに私の感覚としても、家族の絆や、家族の柵というものよりも何か他のつながりに重きが置かれているような気もする、というのは私の願望が混じってしまっているだろうか。 ついでにアマゾンプライムで「LOVE理論」を観た。 理論尽くしの恋愛理論で面白く軽快に話を運び、結局最後はつまるところ「正解は誰も知らない、お前の気持ちだ!」となる決まりきったようなエンドに感動してしまった。 今田くんの眼鏡と私のおニューの眼鏡がそっくりである。 「フリースタイルダンジョン」の般若の回はやはりさすがだった。 思わずテレビの前で一人拍手してしまった。 ラスボスと位置付けられて、ある種崇められて、彼は今どこでどうやってフリースタイルを練習しているのだろう。 いとうせいこうのバトル解説も毎度とても感心する。 あとDOTAMAの歌も初めて聞いたけれど、もうすごく良い。 敬称略。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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