彼のご機嫌のほとんどは、うんちでできていると言っても過言ではない。
うんちが長い時間出ていなければ、何をやっていても彼のご機嫌はうんちの方向に戻っていってしまう。 おそらくお腹が痛いなどの不快症状があるのだろう、うんうんうなっているときもあれば、顔をバツ印にして泣くときもある。 うんち以外の事情で泣くのは、空腹である、体勢をを変えたい、眠りたいのに眠れない、暇である、くらいで、原因不明で喚き散らすことがないのは有り難く思っている。 詳しくは書かないが、私も幼い頃とても便秘で苦労したので、その気持ちはとてもよくわかる。 かわいそうに・・・と思うが、今のところ病院にかかるほどでもなさそうだし、薬や浣腸や肛門刺激をするほどでもなさそうなので、不快そうに悶えているのを宥めたり、抱っこして歩き回ったり、便秘に効くと言われる体操をやってあげたりなどして彼の気を紛らわせようと努めている。 そうかと思えば、やはり腹の中に溜めこんでいるので、一度にまとめて大量のうんちをすることが多い。 現代の優れたおむつがそれを受け止めきれずに漏らすことがもう何度あっただろうか。 病院の待合室でそれをやったとき、けいこが彼を抱いていて、けいこのズボンが黄色く染まってしまった。 それにしても新生児のうんちの色はなんとまあ鮮やかな黄色だ、と感心する傍らで大慌てである。 私たちがわたわたしていると隣りで待っていた二人目を妊娠しているお母さんがおしりふきを差し出してくれた。 同じ境遇にない他人の親切は受け取り難いときがあるように思うが、例えば妊婦でない方に妊婦の自分が席を譲られるなど、同じ境遇の親切や同情というのは会話を交わさずともいとも容易に成立し、助けられた側はその感謝を今後放射状に出していこうと自然と思うものである。 さて一旦うんちをしてしまえば、見間違いや勘違いでは絶対ないと確信できるほどにすっきりと一皮むけた顔をして、目には細かい星がたくさん入ったようにらんらんと輝く。 彼は、こちらがどれだけ慌てていてもどこ吹く風でゆったりと気持ちよさそうに脱力する。 その存在自体、靄が溶けて、クリアーに透き通ったように感じられるほどの爽快感が彼を包む。 このクリアーな放心状態は、幸せというもののひとつの形であろう。 彼のご機嫌がうんちでできているのであれば、私のご機嫌も彼のうんちでできていると言っても過言ではないのかもしれない。 彼がうんちをすれば私は手を叩いて喜び、心から安堵するのである。 私は人のことにこんなにも喜べたのか。 しかしこの安堵はただの一時のものであり、また数時間後にはうんちと闘う彼と私がいる、そしてそれはしばらく延々日々続いていくものなのである。 しかしながらうんちやおならは幼児から大人にとっては笑いの対象でもある。 うんちを漏らされて一日三度洗濯をすることになっても余りある笑いを提供してくれるという面もあるのだ。 もう一度漏らされたいか、については一考したいが、漏らしてくれてありがとうとでも言えるような面白味が存在する。 事実、漏らされたけいこは結果的に紛れもなく嬉しそうだったし、それを誰かに風変わりな孫自慢として話すのもまんざらではないだろう。 ついでに、おしっこも何度もやられている。 私はおむつを開ける度に戦々恐々とする一方で、実はおしっこをひっかけられたいのだろうかと思うが、いやそんなことはない。 うんちがきれいな黄色ならば、おしっこはきれいな放物線を描く。 漏らされたいわけではないのだが、その経験談は何だか漏らされたいような物言いになってしまうのが赤ちゃんのうんちとおしっこというものなのだろうか。 親子三人で近所に外出する。 一か月検診以来、自宅から程近くのスーパーやクリーニング屋への外出は何度かしたことがあるが、それよりも長い数時間の外出は初めてである。 授乳やおむつ替え可能な場所を予め調べていく。 まずはインターネット検索をし、「ままぱぱマップ」というアプリを見つける。 ユーザー投稿型で情報が蓄積されたアプリで、授乳やおむつ替えのできる設備を地図上に示してくれるというものである。 実際に利用したユーザーのコメントも載っていて、利用方法から清潔さ、居心地などまで詳しく知ることができる場所もある。 私が住んでいるのは都心なので、アプリ内の情報量はかなりものもでその信頼性も高いようだ。 おむつ替え台はトイレにあることは多いが、授乳スペースがあるところは少ない。 やはりこういった設備は区の施設は充実していて、スポーツセンターや文化センター、図書館などで鍵付きの個室が無料で借りられる。 図書館で授乳スペースを借りたついでに、井上ひさしの本と川端康成の書の本を借りた。 本をあまり読まないのと、返すのが面倒なので図書館の利用はほとんどしたことがないのだが、子との散歩などにはとても都合が良いのでこれを機に本を読むことが増えると良いと思う。 と、事あるごとに私は読書願望を叶えようとするのだが、これまで叶った試しがない。 今度はどうだろう。 せっかく外出しているので、ファミレスであるステーキ屋さんで外食をする。 最近の私は外食に飢えている。 とにかく、家庭味や自分味がしない外食味や他人味が食べたいのである。 それは洒落たフレンチでも良いし、安いハンバーガーでもとにかく何でも良い。 4時間ほど近所をうろうろとして6700歩。 疲れてくると疲労感は帝王切開の傷あたりに溜まってくる感じがある。 もっと歩けるように戻りたい。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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