撤去自転車の保管場所にいるおじさま達は本当に親切な人が多い。
何度撤去されているのかということはさておき、あそこに行くと何だかほっこりした気分になって帰ってくる。 返してくれる自転車を、ガソリンスタンドでそうしてくれるように、乾拭きをかけてくれるのはいつものこと、今回はチェーンに油をさしてくれ、がたついていたカゴのねじを締めてくれ、割れてなくなっていた反射板まで取り付けてくれた。 反射板は小さな掘っ建て小屋みたいな事務所の裏からがさごそと持ってきてくれた。 挙げ句、「また来てね」と言う。 「え?」と笑って返すと、「撤去じゃなくてね♡自転車気になるところがあったら」と。 おそらくあそこは年配の方向けの働き口として設けられている。 色んな余裕が感じられる。 フェイスブック上で参加させていただいているグループで、実際にはお会いしたことがない遠く青森の方から、「誕生日が一緒だったのですね」とメッセージをいただいた。 ついでに、私は下の娘さんと同い年で、上の娘さんと顔が似ているのだそう。 誕生日が同じで、娘さんと同い年で顔が似ていても何も起こらないけれども、そんな共通点はふっと一笑してにっこりと笑顔が続くような気分になる。 実際にメッセージをくれるというその瞬発力は、受け手の私には何だかとても嬉しくて、柔らかな気分になる。 今まさに、空が真っ暗になって雷鳴が響き、ざざざっと雨が降って来たけれど、雨も雷も午後2時にブログを書く背景として絵的であるなんて喜びながら。 ブログでも定期的に読んでいると書き手のことを受け手が知っているように感じることがあるけれど、ブログはかなり一方向的なものであるのでSNSの方が身近感は強い。 ブログは基本的に書き手の王国というか、受け手は「お邪魔します」の気分になるだろう。 ブログやHPのメッセージから「誕生日が一緒ですね」という発信を瞬発的には発揮しづらいだろう。 もちろんしても良いのだが。 毎日書のやりとりは、どんな字を、どんなつもりで書いているかを垣間見て、軽く会話をしたことがあるくらいの人となりを知ったような気分になる。 時にコメント欄でちょっとした会話を交わす。 日常的な言語でなく「音楽語」で会話をする、ことに憧れを抱いている私であるが、「書語」で会話をすることを少ししているのかもしれない。 もっとも、ジャズのように掛け合いでひとつのものを織りなして作るということは書においてはほぼないので、そういう意味においては違うけれども。 別の方だが、実際にお会いすることも増えてきた。 実際に会っても会話はスムーズで、あれこれ共通の話題を嬉々と話す。 自分がやっている特定の事柄は、やっている人と話すのとやっていない人と話すのでは大違いである。 もちろん、やっていない人でもその物事から一般化できることはたくさんあるから話は楽しいけれど、やはりその細部というのは、どうしてもやっている人にしか分からないことがある。 やっていない人からすると、時には鬱陶しい話にもなりかねない。 「私は双子なので、もうひとり顔の似た同じ誕生日の人がいます」と送ると、「同じ誕生日には、坂本龍一と山口百恵、寺内タケシがいて嬉しいです」と返信があった。 ざざざっと降った雷雨は、この間に止んだ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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