未だ模様替えと片づけ欲が衰えず、衣装ケースの服などを再度捨てたり移動させたりして丸一個分の衣装ケースを空けた。
最近一人暮らしを始めた例の年下の彼女に、要るかと聞いたが要らないと言われたので粗大ごみを予約。 10月31日までいっぱいとのこと、東京の粗大ごみは混雑している。 飽きたらず食器の片づけにまで手を伸ばす。 食器も割と好きで持っているのだが、使わないもの、使用頻度の低いものは捨てることにする。 最近一人暮らしを始めた例の年下の彼女に、要るかと聞こうかと思ったけれどおせっかいはこのあたりに留めておこうと聞き留まる。 もしかしたらこういうものに限って欲しかったと言われるのかもしれない。 私は何の衝動でこんなことばかりしているのだろうなあと考える。 時々人に、「そんな考え過ぎなくてもいいじゃん」と言われることがある。 考えなくする、ってどうやってやるのか。 あと、私は考えたくて考えている。 考えて何かしらの納得に至れれば安心もする。 というか、それは極上の安心であるとさえ思っている。 「感じるな考えろ」と気志團と歌っているが、感じることは”感じてしまう”のだから失われることはないだろう。 ならばそれは置いておけばよい、そんなふうに思っている。 しかしながら、考えることで余計な、あるいは勘違いの妄想や組み立てをしてしまって自縄自縛的な感じになってしまうことも確かにあると思う。 髪を短く切ってパーマをかけようと私としては異例の間隔で美容院に行く。 いつものように新規のところへ。 珍しく、「こんな髪型にしたいと思って」とスマートフォンで画像を見せた。 ぼさぼさの髪を整えながら美容師さんは「こんな感じで色も重たくしたら似合うんじゃないかと思うんですよ」と提案してきた。 最近の美容室は、タクシーと一緒で、客側の要望をかなり丁寧に扱うところが多いように思う。 「この道を通って、あそこを曲がる感じでいいですか?」とタクシーで聞かれるとき、「あなたは道のプロのはずなんだからあなたの思う最適で行ってください」と言ったり言わなかったりする。 私は道のことはわからないから全面的にお任せしたいと思っているのに、客側にそれを言わせることで運転手側が最適化できなかったときのトラブル回避をしているように聞こえる、ひよっているように思える。 もちろん、道がはっきり分かっていて、要望があればするけれど。 これと全く同じ構図のことが美容院でもよくあると思う。 病院とかでもあるのかもしれない。 客や患者側の批判を恐れて、専門家側の「こうしましょう!」という提案が減っているのではないだろうか。 一方で、居酒屋などでは更なる売上のためにこれは減っていない。 「この日本酒にはあん肝が良いですよ」と昨日も勧められた。 その提案でそのままそれを頂くことだって多い。 今回の美容師さんに私はとても好感を持った。 短くしてパーマをかけることは、そうしたかったような気もするけれど、別に特段の希望ではない。 「私に任せてください」、そんな美容師さんの自信と気分の盛り上がりを見た気がした。 もちろん「どうしますか?」と聞かれ最終判断は「お任せします。できるだけ手入れのいらない感じで」と私がしたけれど。 髪は黒くなって地毛のうねりを活かすようなスタイルに仕上がった。 私が髪を茶色に染めるのは、無難な色だからだ。 真っ黒や金髪というきつい色が私は似合わないと思っているからだ。 服も真っ黒や真っ白、黒や白ならいけるけれど、を着られない。 けれど今回、比較的真っ黒っぽい色で、私にはやや見慣れない色となった。 私の服で多い紺やベージュやカーキなど曇った色のものが合わなくなるのかもしれない。 その時に着ていた曇ったオレンジ色のカーディガンは合っていなかった。 とてもとても久しぶりに服でも物色しに行こうか。 こんなふうな新しい動きは、人の強い押しが無かったらなかったと思う。 その美容師さんの勇気ある行動に敬意を表したい。 それにしても、ざんざかざんざか、雨、降り過ぎじゃなかろうか。 いくらなんでも、寒すぎじゃなかろうか。 そして、「ドグラ・マグラ」を読了。 今さら、ゲームアプリ「ツムツム」に大はまり。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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