私は流行り言葉を上手く使える方ではない。
何年かに一度くらい、巷にあふれてかえっている、今まであまり目にしなかった言葉や言い回したちがとても気になることがある。 「わかりみがすぎる」「大好きすぎる」「最&高」「控えめに言って」「ゼーハー」「ぴえん」「とりま」「それな」「じわる」「尊い」「詰んだ」「エモい」などなど。 ほんとはもっとあると思うのだが、書き出そうとするとなかなか思い出せない。 「尊い」というのは主に育児系のブログでよく見かけるのだが、「新生児のにおい、尊い・・・!」と昔だったら言っただろうか。 上記の言葉たちを私は流行りの意味ではほとんど使わない、というか使えない。 ただ「エモい」という言葉が持っているニュアンスは、他の言葉で言い表せないように思うのでこれだけは普通に使うが。 こうしてみると、新しく勃興してくる言葉というのは感情の強調の言葉は変化が大きいのかもしれない。 「まじ卍」(私は会話上で聞いたことがないが)、とか「やばい」とかも同様に、そしてあえなく死語となったが「チョベリバ」がそうであったように。 こういった新しい言葉や意味の付与は、どこで発生してどうやって広まっていくのだろうか。 無論どこかの誰かが発明しないと存在し得ないのだが、それはじわりじわりと水が染みていくように音もなく周知されていつの間にか広まっていくものである。 JK用語というくらいだから、女子高生が発信元である可能性は高いのだが、誰ということもなく、多くの女子高生たちがげらげらと使い始めるのが最初なのだろう。 言葉という巨大で曖昧な生き物は、代謝しながらうねりながら拡大していく。 その言葉の発明者本人ですら、巨大で曖昧な生き物に飲み込まれて忽ち有耶無耶になる。 やがて時の流れにも耐えた新しい言葉は、「新しい」という接頭語が取れて、一般的な言葉となる。 「舟を編む」という辞書編纂の物語を描いた三浦しをんの小説があるが、以前その派生のドキュメンタリーをやっていた。 現代の新人の編集者が、改訂版の辞書に載せるに値する新しい言葉や意味を探して、語釈や例文を考えたりダメ出しをされたりする話だった。 その中で「盛る」という言葉の語釈の追加があって、「実際よりも程度や量を多くまたは良く見せたり申告したりすること。俗に、化粧を濃くする。また、大げさに言う。」という文章(仮)が採用されていた。 確かに「盛る」という言葉において、上記の意味で使うことは比較的新しいとは思うが、すでに多くの人に周知され継続的に使われていることで晴れて辞書入りしたのだろう。 このように辞書に載ることができるほど市民権を得る新しい言葉というのは決して多くないだろうと思う。 それにしても、新しい言葉を使う人たちは、その言い回しを自然に体得していくのだろうか。 何らの違和感もなく、自分の身体に取り入れていくことが出来るのだろうか。 このことは結構昔から不思議に思っている。 とはいえ、私も無自覚に使っている新しい言葉はたくさんあるとは思うけれど。 どんな言葉を用いるかは、自己表明にもなる。 また逆に、どんな言葉を用いるかによって、「その言葉を使う人たちのキャラクター」に近寄れるということもあるので、逆に使う言葉によって人格形成に影響するということもあるだろう。 稀に、流行り言葉の世界とは全く無縁の、自分の言葉を喋る人がいる。 そういう人に出会うと、私はとても嬉しかったりする。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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