泥の濁流のように日々が過ぎていく思いである。
なぜかという問いには即答できる。 自分ではない誰かに割く時間がとても多いからだ。 子育て期の今はこのようなものだと諦めるのか、歯を食いしばって負荷を重くして奮闘するのか。 どちらも良いだろう、あるいはどちらも良くないかもしれない。 年始から始めた動画もなかなか時間を食っている。 とはいえ、編集作業のほとんどを担っていてくれるタナカ氏の前でこんなことは言えないが。 何でもそうだと思うが、やればやるほど奥の深さが分かってきて、だんだんと難しく感じてくるものである。 もう少し行けば慣れの平野に立てるのだろうけれど、今は険しき岩山を擦り傷作りながら登っているようなものだ。 動画に際し、曖昧だった知識を整理しなおしたり、ただの会話でなくオチのある話に持っていく筋書きを考えたり。 普段やっているはずのことが上手くできなくて頭を抱えたりする。 子育てを言い訳にはするまいとやっているが、台本書きや打ち合わせや制作は、時間の足りなさや思考力の散漫さを感ぜずにはいられない。 つべこべ言わずに、動画という創作物に真摯に向き合うまでだが。 さて世界は、コロナ以外の共通の話題を持ち得て、より閉塞感を募らせているだろうか。 政治的な話に冗談抜きで滅法弱い私は、ロシアやウクライナの現況について詳しく分からないのだが、夫が日々このことに執心していて色々と教えてくれる。 夫が読んでいた、ウクライナ在住の日本人男性(奥様がウクライナ人、お子様が2歳半)のブログを私も読んでみる。 「何丘ブログ」と言う。 大統領やその周りの偉い人や、偉い人の集まりの国際機関や、偏向傾向にあるかもしれないメディアではなく、ウクライナの一住人であるこの男性の文章は、現状においてこういう言い方では良くないのかもしれないが、とても面白い。 個人のブログの文章に影響を受けたことが今までに3,4つあるが、久しぶりに心を奪われる文章のブログに出会った気がする。 写真ばかりのブログでもなく、何かを売るための紹介ブログでもなく、注目集めに終始する映えブログでもなく。 個人の感想や意見や日常のあれこれを、個人の責任において発信してくれるブログが私は昔から好きである。 人の書き物は面白い、それを本当に久しぶりに思い出させてもらった気がする。 昨今SNSばかりでブログは特別流行らないと思うが、SNSに比べて双方向性が低く、言わば筆者の王国であるところが良い。 ブログは文章の長さが制限されないので、筆者の思う存分肉付けできるのも良いところだ。 今回彼のブログを読んでいて、非常に不謹慎だが、私もまた旅に出て日記(ブログ)を書きたいなあと切に思った。 国内の旅でも良いけれど、外国の方があれもこれも新鮮なので日記は書きやすい。 外国旅行に行ける日は本当に戻ってくるのだろうか。 もちろん、それもそうと、何丘さんの緊迫した状況は今も刻々と動いている。 ブログによるとおそらく今頃、出国へ向けて移動を始めているのではないか。 小さな子どもと移動するのはたった1時間でも大変なのに、何時間かかるかも知れず、泊まるところがあるのかも知れず、どんな危険が待ち受けているかも知れず、国境を越えてさらに遥か遠くの日本に飛ぶなんて、気が遠くなるどころの話ではない。 緊迫した状況で移動するのに子どもは大変すぎる存在ではあるが、逆にその存在に救われることもあるだろうと思う。 ブログから投げ銭ができ、夫が投げ銭をしたというので、私もしておいた。 ほんのささやかだけれど、ご無事を祈る印として。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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