何となく買った豆苗を切って、豚肉と玉ねぎと一緒に豆板醤で炒めて食べた後、再生栽培をしてみることにした。
と言っても、タッパーに水を入れて、豆苗の根の部分を入れておくだけ。 節約になるほど私は豆苗を常食しているわけではないので、単純に植物好きとして。 植物が育つ様というのは、地を割るような、空を割くような、凄味があって、その一方で可愛らしさも忘れない。 そろそろ啓蟄であり芽吹きの季節である。 またキックボクシングを観戦しに行った。 好きではなかった、むしろ嫌いという呈示をしていた格闘技の世界だが、私は試合中もう随分と食い入って見ている。 ほんの少し話したことがある選手を応援していて、その試合は声が漏れてしまいそうなほどに余計に力が入るけれど、知らない選手の観戦も楽しくなってきた。 ノックアウトの瞬間は、本当に皆の呼吸が一瞬止まって、コマ送りのように時が流れる。 急所に入れられた選手のダメージを、実際にダメージを受けたのは選手のみであるのに、会場全体で共有するかのような瞬間がある。 「死ぬかも」という言葉にしなかったとしても、「死ぬかも」という瞬間の疑似体験こそが、格闘技ファンたちの愉悦であり期待なのかもしれない。 もちろん、観戦側が傷つくことは一切なくて、また高い確率で選手は死なないであろうし、”スポーツ”という特殊なルール上のお話の下で。 そして選手側はそういう側面を持ちつつも、もっと肉体的現実的で泥臭いだろう。 それにしても、選手たちの身体は美しく引き締まっていて、皆肌がぷりぷりつやつやである。 攻撃を食らって傷ついた皮膚は痛々しいけれど。 引き締まっていない身体が美しくないかは別の話だが、単純にスポーツを真剣にやっている人の身体は見とれてしまう。 ”付き合い”で誰かのライブに行ったり、展覧会に行ったり、ということを時々耳にする。 もちろん”付き合い”の部分があっても良いし、無論初めはそういう理由で行動に移ることが多いと思うけれど、2回目3回目はそのような理由では行きたくないなと思う。 何かしら、そのコンテンツに期待して、それをやっている人たちに敬意を払いながら拝見したい。 主催側はもちろん多くの人を集めたいということはあるから、営業も宣伝もするわけでするべきなのだけれど、観客側の「行きたいから行く」があってほしいと、ささやかに願う。 というのも、現在東京都美術館で東京書作展の選抜作家展なるものをやっている。 この展覧会には私は初めて出品した。 久しぶりにとってもとっても好きな歌を書いた、奥田民生の「CUSTOM」。 告知が遅すぎますが、もしご興味とお時間が許せば、どうぞ足をお運びください。 全国公募 東京書作展 選抜作家展2017 http://www.tobikan.jp/citizens/h28_02.html ※20日(月)休館 「カイジ」の和也編をブックオフで買って読んでいる。 私は漫画というか本全般がやっぱりどうにも苦手なのであるけれど、「カイジ」はやっぱりどうにも大好きだ。 私の理解力やら嗜好性指向性がそこにあるのだろうけれど、泣かされて笑わされてハラハラさせられて、そんな福本さんの芸術を私はとても尊敬している。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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