フェイスブックのタイムラインによく出てくる「Tasty」や「Tastemode」や「DelishKitchen」などの料理動画メディアがあって、私はしばしば見入っている。
自分でやる料理は似通ったものしか作らないくせに、料理番組や料理動画を見ることがとても好きだ。 それを実際に作りたいとか、どこかに食べに行きたいとか、そういうことは特にはなくて。 食べ物が手を加えられて調理されて変化していくさま、そのさま自体が好きらしい。 肉や野菜に火が加わって縮んでいったり、卵と生クリームが乳化していったり、パイシートが焼かれてパイになったり。 音を出してみているわけではないし音は要らないので、やっぱり、そのさま、が好きなのだと思う。 料理の手順は極めて超早送り状態で進められる。 超早送り、というのも良い。 ああしてこうしてああしてこうして、ハイできあがり、といった感じで、変化のさまをとんとんとんとコンパクトに楽しむことができる。 中でも「Tasty」は作っている料理も、料理工程の手際も、見せ方も抜群に洗練されている。 ピンクペッパーの潰し方も、モツァレラチーズの伸ばし方も、タイムのしごき方も、ちぎりパンを乗せるスクエアプレートも、調理台の大理石も、手だけ映っている爪先の真っ赤なマニキュアも、その一つひとつのタイミングを含めて本当に良くできている。 これは同じ料理映像でも、「きょうの料理」とは違った楽しみである。 「きょうの料理」で面白いのは、人間同士の掛け合いのライブ感にあって、おそらくリハーサルはあれど一発撮りなのではないかと思う、講師の料理人のメディア慣れの度合いや、アシスタントであるNHKアナウンサーとの相性に左右されながら番組は進んでいく。 アナウンサーのフォローの発言が料理人の余裕のなさでスルーされたり、20分で4品を作るというタイム制の回ではどう考えてもまだ固い状態のビーフンを引き上げて完成にしてしまったり、炒め途中に勢い余ってズッキーニがフライパンから飛んでしまったり、いろんなことが起こる。 特に平野レミさんと後藤繁栄さんの回は、アクシデントをものともせず、よくできたコントのように面白い。 平野レミさんはハチャメチャなようで、本当に料理がおいしくなること、を目指していることが端々に見えてとても尊敬する。 ついでに、ヘアアレンジの動画メディアも見てしまう。 料理とは違って、ごく簡単なものなら私もよく参考にして採用している。 いつからこんなにも「くるりんぱ」という手法がメジャーになったのか知らないけれど、くるりんぱのアレンジが圧倒的に多い。 「くるりんぱ」は髪を一度結んで、結んだゴムの上の髪を分けて、結ばれた下の髪をそこに通すやり方だ。 何と言ったらいいのか、文章上は上手く表現ができないけども、とても簡易なアレンジだ。 そして、誰が「くるりんぱ」と名付けたのか分からないけれど、確かに「くるりん」までは良いのだけれど「ぱ」という感じがしないなあと思いながらいつもくるりんぱしている。 そろそろを俳句を作ろうと、しかし最近めっきり日々の俳句的筋トレを怠っていたので作り方さえ感覚が鈍ってしまった。 何にせよ、筋トレは物を言う。 俳句のために行ったある日常の出来事を、句会仲間でもある友人につい言ってしまった。 句会は無記名で行われるので、それについて話すことは句会の面白さを一部削いでしまうことにもなる。 俳句も個人的創作物なので、「この句はあの人だよな」と、他人が読んでその人らしさの傾向の滲みを感じ取ることができる。 それを評の段階で、答え合わせのようにするのも句会の一つの楽しみであったりもする。 違っていたら違っていたで、それはまた面白い。 友人は、「私が俳句的筋トレを最近やってなくて全然できない」と言うと、「私も」と嬉しそうだった。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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