せっかくひとりで行けるようになった近所の飲み屋に何となく長い間行ってなかったので、もう少し離れた居酒屋にひとりで入ってみる。
朝から食パンと卵かけご飯しか食べておらず、タンパク質が摂りたかった。 魚よりも肉派なので、もう少し離れた近所の焼きとん屋さん。 「ワカコ酒」の気分で。 ひとり焼肉は少々抵抗があるけれど、ひとり居酒屋は入り口さえくぐってしまえばもう平気である。 入り口をくぐる前は、一度くらいは店の前をそろそろと通り過ぎて横目に店内の様子を伺ってしまうけど。 ちなみに、私は肉派と言いながら牛肉が得意ではないので誰かと一緒でもあまり焼肉は行かない。 あと15分で食べ物のラストオーダーだと言う。 閉店まで1時間半、ひとりでそんなに長居もしないので十分だ。 このあたりのお店の閉店時間は夜型の私からすれば皆早い。 ひとり居酒屋やバーなどに入るとき、そこに居合わせた誰かや店員さんとと話したい気もするし、話したくない気もする。 話したくない場合の方が、傾向としては多い気がする。 このお店は店員さんがすべて外国人ということと、閉店間際はほとんど人がいないので良い。 寒くなってきたけれど、とりあえず生ビール。 ジョッキが冷凍庫に保存されていて、きんっきん冷えっ冷えの生ビールが出てきた。 霜のような氷、まさしく霜なのかもしれない、が浮いていて、シャーベットビールの様相。 今が真夏だったとしても、いくらなんでも冷え過ぎだ。 冷た過ぎるのも熱過ぎるのも、それが先立ってしまい過ぎて味がよく分からなくなる。 握る取っ手が酷く冷たい。 そういえば、料理は熱々を出さず常温に近い温度で出す、といつかに「情熱大陸」に出ていたイタリアンにいつか行きたい。 ひとりで食べて飲んでいると、やることがないのでピッチが早くなる。 あと、たいてい食べ物を頼みすぎてしまう。 梅きゅうをばりばりぼりぼりむしゃむしゃ食べるハメになる。 居酒屋のメニューは基本的にひとり分の量でできてはいない。 ねぎまやらなんこつやらかしらやらエリンギやらを食べて、梅干しサワーを飲んで。 今日気付いたのは、ひとりでいると、からしをつけたくならないんだなということ。 たぶん元々からしが好きではないのだ。 このことは薄々知っていた。 ただ、誰かと一緒にいるときにからしを常としてつけてしまうのは、会話というスパイスが常に振りかかってきているのでそれを凌駕するような刺激を口に入れたい衝動に駆られるからだろう。 ひとりでいれば、からしをつけたときの「うわーからし」という感じよりも、より肉を味わいたいということが先立つ。 私は基本的におしゃべりをしているときに食事をしていると、味がどうこうというのはかなりオフになっていることが多い。 そのことを話題に出せばまた別だけれど、人との食事で味を詳しく覚えているということは実はあまりない。 会話を越えてくる「?!」みたいなものは時にあれど、そしてそれはいつだって欲しいというのはあれど。 マルチタスキングが苦手なのは、電話をしているときにテレビや音楽を消してしまう私の拙さである。 気付けば最後の客である。 酔っ払ってきた。 もう少しゆっくりこの文章を書きたかったけれど、閉店間際の店員さんの早く帰りたい一心の締め準備と、酒を飲んでいることでやや思考が前のめり気味である。 いつもが微細であるかは置いておいて、酔っ払っていると微細な感じではあまりいられないように思う。 もうちょっと、焼きとんや店員さんの動きに対する描写もしたいと言えばしたかった。 酒を飲んで脳内に起こることをひとり楽しむのは面白い。 家ならたいてい寝てしまうけれど、居酒屋ならそうもいかないのも良い。 「酔ってたしね」というのはよく聞くフレーズだけれど、「酔ってた」のであればなんでも許されるような風潮というのはどうなのだろうと思う。 例えばだけれど、「酔ってた」のであれば、自転車を盗んでも、たとえその人が法律上罰せられたとしたとしても、「まあ酔ってたし仕方がない、そういうこともあるよね」のようなことで軽く許されてしまうのだろうか。 酔っていない人だっているわけで、だからやっぱり節度というのは酔っていても酔っていなくても誰かの許容の幅は変わらないものだとも思える。 2000円くらいのお会計で、10円のおつりをもらって店を出る。 この文章に、後で読んで何か変なことが書いてあったとしたらどうなのだろう。 「酔ってたしね」 なんてやっぱり言うのかもしれない矛盾である。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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