私は吉田羊さんに似ていると言われることが度々というか結構よくあるのだけれど、あまり自分でその認識がない。
ドラマなどテレビで彼女を見るにつけてとても不思議に思っている。 あんなにつんとした顔ではないし、あんなにしゃんとしていないし、あんなにほっそりしていない。 でも自分の顔は、よく顔を合わせる人ならば他人の方がよく知っているとも言えるだろうから、雰囲気的にそうなのかとも思う。 まあ”似ている”というのは単純な顔の造形のみを指していうことではないだろう。 そしてある日ある人に「Kitchie Nadal」に似ている!と言われた。 「Kitchie Nadal」とは、日本では全然有名ではないけれど、フィリピンでは有名なシンガーソングライターらしい。 早速私は彼女を検索してみて、ずらっと並んだ彼女の画像を見て「あぁ、これだ!」と思った。 自分的にとてもシンパシーを感じるというか、私は自分像をこのように見ているようだ。 よく分からないけれど、この人を見てなんだか安心すら覚えた。 昔からフィリピン人ぽいとかベトナム人ぽいとか、東南アジア系であることを言われることはよくあった。 私は両親と似ていない方だと思うし、家系に東南アジア系の人は誰もいない生粋の日本人であるけれども。 しかし、誰かに”似ている”ということを言われるのは少し楽しいような、少し切ないような気持ちがする。 私は双子だから自分とよく似た存在が幼い頃からかなり身近にいたし、否応なく当然に比較されてきた。 だから”似ている”と言われると、単純な容姿のことを言っていても、“違う”と盾を突いてしまう癖があるのだ。 家族でない赤の他人に似ているということは、それとは全然意味が異なる。 その癖がほんの少し顔を出してしまいもするけれど、醸している雰囲気全てひっくるめて”似ている”人がこの世に存在するということはやっぱりちょっと楽しげだ。 もしKitchie Nadalさんと話すことがあるのなら、私はきっと勝手になれなれしくしてしまうかもしれない。 まあ、英語が全然できないから会話にならないけれど。 花粉の季節がやってきた。 辛い。 目が痒くて起きたり、朝には目が真っ赤である。 毎年春は苦手で、特に去年の春は得体の知れない愁いに満ち満ちていて、作った春の俳句が全ておどろおどろしくなってしまった。 今年はそんなでもない。
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|