寒い、北風がぴーぷー吹いている。
そうそう、冬とは寒いものだった。 一泊、浜名湖のホテルにけいこと泊まった。 おばあちゃんの顔も拝みに行った。 今はおばあちゃんひとりの住む、かつて私も住んでいた家の玄関の引き戸を開けようとすると扉が開かなかった。 おじいちゃんが入院した流れで老人ホームに入ったそうで、昼間でもひとりでいるおばあちゃんは鍵をかけているのかと思って、私は庭に周った。 庭の出窓の鍵は当たり前のように開いていて、私はそこから入って座椅子でテレビを大音量にしてうつらうつらしているおばあちゃんに「ほい」と大きめの声で呼びかけた。 おばあちゃんは私がいつ帰っても、嬉しそうな顔をする。 私はおばあちゃんが好きだ。 「一日ひとりでおると暇だらぁ?」 「ほうだねえ、夜がさびしい。おじいさんがおらんと」 きっと、たぶん、おそらく、おじいちゃんがもう家に完全に戻ってくることはないだろう。 90を過ぎた老人ふたりでいたって本人たちも周りも何かと不安だけれど、そりゃあひとりでいた方が不安は格段に大きいだろう。 耳の遠い、腹に力が入りづらくて声も大きくは出せない、会話もままならないふたりでも、ただその互いの存在だけで温かいだろう。 70年以上も一緒にいるふたりだ。 金婚式なんてとうの昔、60年のダイヤモンド婚も70年のプラチナ婚も過ぎてしまって、もう日本社会の結婚記念祝いの外れ値まで来てしまった。 私の人生の中で70年以上もずっと一緒に暮らす人はもうどう考えても現れようもない。 ふたりが愛し合っているとかそうでないとか、必要だとか必要でないとか、きっとそんな次元ではない。 事実、おばあちゃんはおじいちゃんの老人ホーム入りを望んだのだそうだ。 それは、世話をする周りの人への気遣いもさることながら、おそらく身体の弱った老人ふたり暮らしの責任の限界を察して、自分のためにそうしたのだろうと推測する。 それでほっとしている自分がいながらも、それでも側にいるだけの温かさがないことに、大きな大きなさびしさを抱いているのだろうと思う。 でもたとえば私は、おばあちゃんの不安やさびしさのために仕事を全部擲って、東京を去ろうとは露も思わない。 あと数回しかおばあちゃんと話ができなかったとしても。 「まあはい帰る?」「また来るで」と大声で言って、後にする。 帰り際、玄関の鍵を確かめると、締まってはいなかった。 単に引き戸が錆びか何かで調子が悪くて、開きづらいだけだった。 日が暮れるのが早くて、帰ってくる頃にはすっかり真っ暗闇の夜が訪れていた。 東京に近づくにつれて緑が減って、光が増えてくるのを見ると、いつも、心から安心する。 胸をなでおろす、という言葉がびったりである。 何度も安心を味わいたいから、私は帰っているのかもしれない、と思うほどである。 東京が、好きだ。 これもいつもだけれど、私は呼吸を忘れていたのだろうかと思うくらいに、身体が酸欠状態になってぼーっとしているのを感じる。 お腹が張って、頭がどことなく痛い。 明日は風邪で倒れるかもしれない、と頭によぎるくらいの不調が身体に満ち満ちている。 必死で深呼吸をして、早く寝ようということばかりを考える。 今のところ私は、自分が家族や身内などという絆しから完全に自立した個の存在であって良いのだ、というような考えがとても腑に落ちている。 それが私にとってのロックンロールの説明のひと欠片でもある。 それは、家族を積極的にないがしろにします、という宣言でも何でもなくて、ただただ、私は地球上に生きるひとりの人間である、という至極単純な事実が私の最大級の安心感になっているということだ。 しかしながら、こんなに不調を来してしまうのは、私にはまだ納得できないことがあるのだろうとは思う。 家のベッドよりはるかに良いホテルのマットレスではよく寝られなかった。 電車でも映画館でも寝るくせに、どこか違う環境のベッドでは一日目はあまり寝られない案外ナイーブな私である。 やや身体の痛い家のマットレスで、私は安心を抱きしめてぐっすり眠った。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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