3月になった。
こうして年は暮れていく、と3月くらいになると毎年思うものである。 息子がようやく言葉らしいものを発し始めた。 返事の「はーい」(語尾の「い」はなく「はー!」だが)、Eテレ「おかあさんといっしょ」の「からだダンダン」の「ゴーゴー」、忍者の「にん!」(これも語尾がなく「に!」だが)、「いないいないばあ」(顔でなく耳を隠しながらやる)、「でんしゃ」(てンてぃゃ、というような感じで自信なげに)。 ちなみに「ママ」と話し始める子が多いと思うが、家ではもっぱら「おかあさん」なので難しいようだ。 ここのところ、分かりやすい成長が目覚ましく、文字通りの日に日に成長が見受けられる。 発語、発生に関しては、ここ3日間くらいで更に格段に良くなった。 多くの子は1歳6か月までに意味の分かる言葉を3つ4つ言うのが平均的らしい。 しかし今月で1歳8か月になる息子はこれまでのところ全然喋らなかった。 周りの大人が言っていることは何となく理解していそうだが、どうやってその発音をするのがが分からない、といった風であった。 時折言葉を教えると、困ったように苦笑いをしていた。 女の子の早い子はもう片言で会話をしている子もいて、羨ましいなあと思っていた。 それに、一歳半検診で発語の部分が経過観察となったことが、全く心配が無いというのは噓になる。 しかし、もし発語および発達全体に何らかの難ありという診断が下った場合、失望したり嘆いたり悲しんだりするのだろうか。 それは本当に、私や息子において悩ましい問題に当たるのだろうか。 私は一体何に対して心配を抱いているのか。 子育てをする中で、自分が、他者や世間や一般と比較をしていることにいちいち気づかされて少し嫌気がさす。 言葉の発達においては、男の子は3歳くらいまでほとんど喋らない子もいるようで、何もかもが「個人差」と言って片付けられるような話でもある。 ただ、人と比べることでしか、医療的に判断したりケアしたりできないから、統計や平均というのは参考にはすれば良いと思うけれど。 まあでも、とても単純に、私は息子とお話をすることをとても楽しみにしている。 言葉は万能ではないし、時に言葉よりも雄弁なものもあるだろうし、何をもってしても他者に真意を伝えることはほとんど不可能であると思いつつも、それでもやはり人間は言葉の生き物といっても過言ではないと思う。 それに、私は言葉によるコミュニケーションが好きである。 子育てにおいて、もっとゆっくり大きくなってくれればいいのに、赤ちゃんのまま止まってくれたら可愛いのに、ということをよく耳にするが、私は今のところそういうふうには一度も思ったことがない。 確かに時が過ぎるのも、息子の成長も早いとは思うが、どんどん進んでくれて構わない。 たどたどしく、あどけなく、いとけない。 そんな言葉の芽吹きの春がやってきそうだ。
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|