帰省したとき、兄の車に乗って兄と話をした。
兄は基本的にどうしたのと聞いてうんと返ってくるくらいの無口な人だけれど、実は自分の意見は強固に持っていて頑固であることを皆昔から知っている。 後部座席のチャイルドシートには、漫画に出てくるような顔をした2歳の甥っ子がどんと座っている。 兄と同じく、比較的無口である。 兄は「田舎が一番」と思っていて、私は「東京が一番」と思っている。 「スーパーと病院が近くにあれば絶対田舎の方がいいら」と言われて、「えええーーー」となる。 兄の言葉にはもちろんその他生活必需あるいは生活を潤す諸々も手近にあることを意味している。 まあ確かに、地元はど田舎というほど田舎でもなく、スーパーもコンビニも病院もドラッグストアもカラオケもアウトレットも飲み屋も眼鏡屋も特段選ばなければ、車で10分圏内にあって、駅だって至近である。 amazonや楽天で注文すれば何だって届く。 ちょいと車を出せば自然の多い場所にも市街にも出られる。 名古屋だって電車で1時間かからず、東京だって新幹線で2時間かからない。 別にもちろん私もそれで暮らせないわけではない。 しかし、十分ではない。 そもそも、東京まで2時間もかかる。 私は、東京の良いところは、「選択肢が多いこと」であると思っている。 人も物も圧倒的に絶対数が田舎よりも多い。 まだ知らない人が圧倒的にたくさんいる、まだ知らない物が圧倒的にたくさんある。 それが東京だ。 「田舎は知っとる人ばかりでつまらんじゃん。東京の方が知らん人が多くて面白い」と兄に言うと、「知っとる人だけおりゃいいじゃん」と返ってきた。 どうやら、大きな考え方の差がここにあるようである。 既知のことはそれはそれでよいし、それを大切にしたり育てたりはもちろんするわけだけれど、未知のことがたくさんあった方が自分にフィットするものがたくさん見つかる可能性が高いのではないかと思っている。 兄はそのようには貪欲ではないのかもしれないし、元々よほど地元がフィットしているのかもしれない。 私は私で、もはや東京の方が知っている人や既知のことが多くて、フィットしていて安心感がある。 そんなに未知のことが好きならば、実質的な意味で遊牧民のように世界中を転々とする暮らしを選んだらよい。 だがそれはしないし、したくもない。 そして、私が地元のことを事細かに詳細に知っているかと言われれば全然知らない。 言ってみれば未知のことだらけだし、私は地元の良さなど少しも分かっていないだろう。 短絡的に、東京にいる私が冒険心に溢れていて、地元にいる兄が保守的であるとも言えないだろう。 私と兄の、現暮らしの人と物、環境における未知と既知のバランスというのはさほど変わりはないのかもしれない。 となると、この意見の差は、まだ自分で暮らす場所を選べなかった頃、つまり幼少期のその場所での良い思い出の総量の差なのではないかと思う。 深夜、前髪を切る。 前髪があると、しばしばそれを整えなければならない。 横に流してしまっても良いのだけれど、面倒を押してでも何だか前髪を気に入っている。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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