気が気ではない一週間を過ごした気がする。
買ってくださった作品の裏打ちや額装に回ったり、依頼されていた書を納品したり。 句会があったり、来月の展示会のこまごました対応が入ったり。 それでも、子どもがいなかったとしたら、仕事が忙しくても合間を見てゆったりと気を抜いてだらーーとしただろうけれど、子どもがいると本当にきちんと休めることが少ない。 慣れないことばかりやっているのと、やはり作品が売れたことに対する胸のどきどきが止まらないのと、作品がお手元に届いたときにがっかりしないだろうかというのが不安でならないのと、いろいろと気を揉んでいる。 酒でも飲んでぱあっとなれれば良いのだが、あいにくまだ酒も飲めない。 そういえば、産後1年4か月ほどが経ったが、殊更に酒が飲みたいというふうにはなっていないのだが、やっと今酒が飲みたいなあと切に思う。 しかし酒は体へのダメージ時間が長いので、飲まない習慣の今は、二日酔いで半日以上つぶしてしまうなんてことは皆無になったのでそれは良いことである。 酒を飲んでぱあっとなる、そしてぱあっとなるのを通り越してぐでえとなるのは良いけれど、二日酔いは辛い。 体が辛いだけでなく、無駄に時間を過ごして、何一つ物事が進まないということになる罪悪感に苛まれるのも辛い。 酒を飲まなければ、朝も夜も、自由な時間にしっかりと活動ができる。 まあでも、かつては暇だから酒を飲んで有意義な時間に変えていたように思うので、それもまた良かったのだ。 今は子育てが忙しいし、子育てに終わりは来ないと思うけれども、また暇にまかせて酒を飲む日を恋しく思う。 ちなみに、煙草はもっと前から吸いたいなあと思うことがあって、夢の中で「しまった吸ってしまった・・・!どうしよう」なんて狼狽えていることがある。 よほど吸いたいのだろうと思う。 授乳もいつ終わるのかまだ目途が立っていないが、煙草を再度吸うかどうかは、そのときが来たら改めて考えよう。 息子は最近、とことこと安定して歩くようになって、地団駄が踏めるようになった。 地団駄を踏む、というのは1歳にして体に搭載されている機能なのである。 ところで、大人で地団駄を踏んでいる人を私は見たことがない。 一方、子どもで舌打ちをしている人を私は見たことがない。 この二つは、瞬間的なストレスを回避するための生体反応なのだろうと思うが、どうして大人になると舌打ちをするようになり、地団駄を踏まなくなるのだろうか。 いつからそうなのだろうか。 地団駄の句を作って本年最後の句会にのぞんだが、地団駄の句だけ無得点であった。 ほかの句はなかなか高得点で、最近自詠の書を書くために俳句を考えていたりするので、少し筋トレの成果が出たのかもしれないと思う。 多少苦しくても、できるようになりたいことは淡々と日夜続けるべきなのである。 初霜や幼子は地団駄を踏む 空っぽのドロップの缶星月夜 ししゃも食む卵の数は数えない まだまだ開催中です。 どうぞごゆっくりご覧くださいませ。 竹内恵美子 狼煙展 emikonoroshi.thebase.in/
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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