最近また比較的気が向くので料理をするようになった。
そのほとんどが、いろいろなごった煮。 トマトと鶏むね肉とズッキーニと茄子のごった煮。 小松菜と油揚げと豚こまのごった煮。 根菜と豚バラのごった煮。 じゃがいもとにんじんと豚ひき肉のごった煮。 なすと鶏もも肉のごった煮。 ごった煮という言葉は、所謂煮物から揚げ浸しくらいまでを覆い包んでしまう言葉である。 じゃがいもとにんじんと豚肉のごった煮は、肉じゃがといっても間違いではないと思うが、ごった煮と言いたい。 私のごった煮の定義は、複数の食材を適当に切って鍋に放り込み、時に少し炒め、目分量の調味料を調整しながら煮込み、味を決めていく料理のことである。 調味の基本は醤油酒味醂かつおだしであるが、トマトコンソメ、クミンスパイスなどが登場することもある。 無論、こういった料理は出来立てよりも一回冷まして寝かせた方が味がなじんで美味しくなる。 ごった煮は、私を代表する、乱雑且つ繊細、大胆且つ保守的な料理だ。 私はいつも我がごった煮に心からの安心を抱き、心と身体を温めている。 しかしながら、びしっと味が決まらないこともあって、ごった煮に投影する自分の分だけがっかりしたりもする。 エルブドプロヴァンスというミックスハーブを頂いて、トマトのごった煮に入れたら階段をジャンプアップしたように本格感が出た。 エルブドプロヴァンスとは、南仏プロヴァンス地方のハーブという意味で、タイム、セージ、フェンネル、ローレル、ローズマリーなどを良きようにミックスしたものと言うことらしい。 大きな鍋にふぁらふぁらっと入れるだけで、乾燥した葉っぱの清廉とした力強く品のある香りがついて、それが奥行きといった言葉に昇華される味わいとなる。 既に味が完成しているものに追加しても加点要素となるだけで、蛇足とはほとんどならないように思われる。 私は元々パセリやパクチーなど、香りの強い葉っぱが好きだからということもあるかもしれない。 オムレツに入れても、ラム肉のソテーにかけても、にんじんの洋風きんぴらにまぶしても良い。 それら食材の持つ独特の臭みを消して、代わりにハーブたちの独特の香りが纏われる。 量にもよるだろうが、決してくどくない香りである。 食べ物にはそれほど執念を燃やせない私だが、食べ物の話は好きだし、美味しい方が良い。 最近当たりの食べ物に出会うことが続いている。 これを書いている現在、最近見つけたバケットをメインに売っているパン屋さんのバケットからものすごく良い香りがしていてお腹が空いている。 小耳にはさんだパン屋さんで、ルスルスのように営業時間が短い。 このパン屋さんが本当に当たりだった。 シンプルで、噛みしめたくなるバケットだ。 駅からは遠くないとは言え、路地裏も路地裏、こんなところは絶対にこの店に行く以外に通りかかれたりしない場所にある。 しかしまたがんばって行ってしまうだろう。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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