月曜の午前中は息子の療育に出かける。
乗り換え2回、1回は地上に出て乗り換えをする。 直線距離はさして遠くもないのにああだこうだ蛇行しながら歩くので、小一時間かかる。 9時に家を出発、10時〜11時で療育、12時に幼稚園に着く。 たくさんの時間が取られることに、時々、悶々とする。 悶々としないこともあるので、それは雨だからかもしれないし、ホルモンバランスの影響かもしれないし、仕事が溜まっているからなのかもしれない。 AIチャットが大隆盛の昨今であるが、AIの回答というのは実はあまりそのアルゴリズムがよくわかっていないらしい。 そこが人間と似ているらしく、人間の脳もまさにアルゴリズム的に動いている。 外的内的な複合的電気信号によって私たちは思考したり身体を動かしたりする。 私たちが“自分の考え”などと思っているものは、実は自分の考えなどではなくただの身体の反射に過ぎないのかもしれない。 “ワタシ”は“ワタシ”を観察することしか出来ない。 このふたつの“ワタシ”は、AがBを観察する、ことが出来ているわけなので別物だ。 では一体、“ワタシ”とは何なのか。 というインド哲学があったと思うが、AIが盛り上がりを耳にする度にこのことをなんとなく思い出す。 そこで良く言われるのがAIに“キモチ”や“カンジョウ”はないということだが、人間の“キモチ”や“カンジョウ”も単なる個々のアルゴリズム的反応に過ぎないのではないか。 “ワタシのことはワタシにしか分からないわ!” “ワタシはジブンが考えていることがよく分からない” ワタシはいつも、唯一ワタシから離れられないから、ワタシはワタシと仲良くした方が良い。 さて。 息子の体調不良で休んでしまったかな書道のレッスンへ行く。 「かな」とは平安期スタイルのうにゃうにゃっとした流麗な平仮名のこと。 実際のところ家でかなを練習することは殆どないのだが、ちょっと上達した気がする。 それは他のものを書くことで同時に引き上がる技術があるからだと思う。 かなを書いていると、本当に言葉の意味がどうでも良いことを思い知らされる。 かなは、変体仮名という現代では使わない平仮名を使うこと、そして読みやすさよりも景色が最優先である。 いかに紙面を文字で飾るか、それが最も肝要。 このことは、私の最近の方向性とマッチしていて、書いていて、そして教わっていて違和感がない。 書道は文字を書くから、言葉の芸術と言わんとする傾向があると思うが、それは本質では無いと考える。 極端に言えば、書く文字、書く言葉、なんてどうでも良いのである。 書家の本質はただの字食い、そういうことだ。 そうでなければ、実は少なくない現在の日本の書道人口が、こぞって漢詩を書くことに執心する理由がない。 その殆どは中国語を話せないどころか、漢詩の書き下し文でさえ危うい人たちなのだから。 ただ、元より意味のある漢字や言葉を成すひらがなを使うので、共通理解のある言葉の意味や詩的なことを含ませやすい媒体であるとは思う。 そして、意味のある漢字や言葉を成すひらがなを書くから、書き手の書家もそれに引っ張られてしまいがちでもある。 書道とは何なのか、書道には何が出来るのか。 絵画にできない、書道にしか出来ないことは何だろうか。 と最近は日々考えている。 あとは、物見遊山な気分で裁判傍聴へ行くなど。 これで4回目だろうか。 殺人、詐欺、窃盗など見てきたが、今回は合成麻薬を輸入した麻薬取締法違反。 アメリカ人の被告人で通訳が付く裁判だった。 素人の傍目からの毎度の感想は、こんなに早く判決になっていくのか、ということ。 世間的に取り沙汰される事件は大きなものであれこれ根掘り葉掘りマスコミがついたりするし、ドラマなどであれば“真実”を追い求めて奔走するものだ。 しかし実際には、結構あっさり、色々なことは取り残したまま、決まっていくものなのかもしれない。 〈YouTube〉 ⇒パン、カッパ、キャプテンはポルトガル語由来【半濁点の歴史】 - お字書き道TALKS #029 ⇒ラ゜は【L】半濁点で英語発音マスター!明治時代の日本人はすごかった。 - お字書き道TALKS #030 〈note〉 ⇒書道の猛者!【明治の三筆】専業書道家が生まれる【その1・日下部鳴鶴】 ⇒天皇の目にも留まる、華々しき書道人生。明治の三筆!【その2:中林梧竹】
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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