訃報はあるとき突然、寝耳に水、訪れることがある。
三浦春馬さんのことではない。 まあ彼ももちろん我々視聴者からすれば唐突すぎる死だったけれど。 SNSの書道仲間がひとり、亡くなったらしい。 らしい、というのはあまりにもね寝耳に水で未だに実感が沸かないからである。 年齢は正しく知らないが50代の女性である。 肺がんで闘病されていたとのこと。 その知らせは、SNSの仲間内のメッセージで届いた。 起き抜けに、かなり乾いた眼をしぱしぱさせながら、えっ!!??と心臓が飛び上がった。 実際のオフ会で顔を合わせ、彼女主催の教室の展覧会などにも足を運び、個人的に何度もメッセージを交わしていた方だった。 身近とまではいかないけれど、書を志す仲間として、同志という感じはあった。 書風は違えど、竹を割ったような爽快な大胆さが似ていると誰かに言われたこともある。 私としてはあんなに鋭くて切れの良い書とは雲泥の差があると思っているが。 2か月ほど前、彼女は自分の作品集を作ったと仰って、わざわざそれを自宅まで郵送してくれた。 美術手帖ほどの大きさでつややかな装丁の作品集で、体良く、彼女の書のできるだけを詰め込んだ感じがした。 なぜだか思わず涙が出そうなほどに力強い思いがこもっているように思えて、私はその時確かにほんの砂ひと粒分くらい心が違和感に揺らいだような気がした。 そんな砂粒などすぐさまどこかに飛んで行ってしまって、その違和感は違和感であったかさえも分からずに訃報までを過ごしていた。 お礼のメッセージを送り、私の息子の話をし、彼女の娘さんやお孫さんの話をし。 それが5月半ばのことである。 今思えばどんな気持ちで、たくさんの人と関わっていたのだろうか。 彼女は本当に身近な人にしか自分が病気であることを露も出さずに、最期を迎えたようだ。 死んでしまったということは、彼女の肉体がこの世からなくなってしまった、ということである。 もう会えない、ということである。 彼女の作る作品を見られない、ということである。 ものすごく親しかったわけではないけれど、久しぶりに死というものを想い、全然言葉が見当たらないのだが、やっぱり生きていて欲しかった人だった。 彼女のまっすぐさは筋金入りで、我が強いといえばそうなのかもしれないが、それを外部に発する人ではなく、自分自身への厳しさとして持ち得ている人だった。 娘さんが死後のご連絡をあれこれしてくださっているのだが、「母の交友関係が広すぎて・・・」と仰るのも分かる。 きっと多くの人に手厚く、そして凛とコミュニケーションをしてきたのではないかと思う。 SNSはこういうときには情報の伝達スピードがすさまじく、多くの人が彼女の死に呆然と驚いたことであろう。 がんなので自分の死を思う時間があっただろうと思うので、死後のSNS等の連絡は娘さんの託したのだろう、彼女本人に代わって娘さんが対応している。 彼女の笑顔のアイコンで連絡が来るものだから、これもまた少々驚く。 SNSをめっきりやらない人や、予期せぬ交通事故などの死の場合は、こんなにスムーズに死の連絡ができたりしないだろう。 私はSNSの書のグループや俳句仲間以外にはあまりコミュニティを持っていないので、1対1の友達関係の人には私が死んだときにはどのように伝達しうるのだろうか。 それを病気でもない今時点で考えたり、準備したりすることはなかなか難しい。 ご冥福をお祈りいたします。 という言葉よりは、私と関わってお話してくださってありがとうございました、の方が良いかなと思う。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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