神戸京都旅行の後編を書く間もなく、息子は保育園を卒園し、そして新しい保育園の入園式まで空白になった1週間が始まった。
新小学5年生の姪と、3歳の息子と、38歳の私の珍道中。 4月3日、まずは姪が家に泊まりに来てくれた。 この日、午前中に息子を療育に連れて行き、午後に私の仕事が入っていたので姪をベビーシッターとして呼んだのだ。 お菓子やらおもちゃやらを用意して「よろしくっ」と私は仕事に出かけた。 リモートワークの夫もいたけれど。 姪は自分の妹(新小学2年生)とは仲が良くないが、いとこである息子の面倒はよく見てくれる。 歌を歌ってくれたり、プラレールを作ってくれたり。 しかし息子が「んちゅー」としに行くと嫌がっていた。 そういうお年頃だろうか。 予定には無かったのだが、突然高校時代の友人から家を建てる際の「棟札」を書いて欲しいと連絡があり、棟札を持って家までやってきた。 3歳と1歳と旦那さんの4人でやってきて、家には人が溢れかえり、息子は怖気づいていた。 久しぶりに会った友人とあれこれ喋りながら棟札を仕上げて、友人家族は帰っていった。 翌日4月4日、私たちは早起きをして浜松へ向かった。 新横浜から新幹線に乗って、浜松まで一時間ほど。 先日の新大阪までの2時間半を思えばあっという間だった。 浜松駅から路線バスに乗って友人宅へ向かう。 地方とはいえ、県庁所在地の浜松だ、当然ながらSuicaなどのICカードが使えるかと思いきや、使えるのは地元のカードのみ。 なんと整理券を取って、運賃箱に現金を入れる仕組み。 しかも小銭が無い場合は、バスが止まっている間に早めに両替してと書いてある。 私はバスの時間の緩さや、電車よりも大幅に揺れること、バス停の間隔が短く頻繁に止まること、一両しかなく空間が狭いこと、などの理由で路線バスが元々好きではない。 それに更なる不便さが加わって落胆してしまった。 その上、1時間に2本しかないので待ち時間も長い。 こう書くとなんとまあ都会人なことか。 まあでも田舎者の都会好きとして都会に住んでいるので、こういった地方の事情がなかなか汲めない私である。 鳩を怖がる息子と、お菓子を食べるという姪と一緒にバス停で時間を潰し、友人宅の最寄りまでたどり着く。 友人とその娘さん(新小学3年生)が自転車で迎えに来てくれた。 娘さんには赤ちゃんのとき2,3回あったことがあるが、なんと立派なお嬢さんに成長していた。 大切に育てられていることがにじみ出ている美しいお嬢さんだった。 友人はうなぎやピザやスパゲッティやサラダなどをテイクアウトして、息子のために唐揚げとポテトを作ってくれた。 久しぶりに会った友人は、なんだか穏やかさを手にしているようだった。 私と友人は所謂ドジ仲間である。 ドジなネタには事欠かない。 ・コップの水を飲もうとして口に近づける前に早々傾けて水をこぼしてしまう ・コンタクトレンズをコンタクトケースに入れて、朝コンタクトレンズを入れる前にケースごと洗ってコンタクトレンズを流してしまう ・鰹節で出汁をとって、ざるとボウルに入れようとしたらざるだけで、出汁を全部シンクに流してしまう ・ゆで上がった小松菜をざるに入れようとして、ボウルのみで重たくてびっくりする のが私。 ・コップの水を飲もうとして口に近づける前に早々傾けて水をこぼしてしまう ・バイト中にレジで受け取ったお金をレジに入れずにゴミ箱に捨ててしまう ・卵を割って殻を捨てるところを、ゴミ箱の上で卵を割ってしまう のが友人。 もちろんこのようなことばかりではないのだけれど、友人とは話が合うので、本当に時間が過ぎるのが早くて楽しかった。 子どもたちも、色々な独創的なおもちゃでたくさん遊べて居心地が良さそうだった。 16時ごろ、友人宅を後にして、一路蒲郡へ。 私はスマホで少し仕事をすることができたのも姪のおかげである。 蒲郡駅に着くと、珍しくけいこが迎えに出てきてくれていた。 カレーライスを食べて、私はワインを飲んで、比較的早めの22時前に就寝。 4月5日、車で5分ほどの兄宅へ向かう。 この家には新小学5年生と新小学3年生の甥がいる。 同じ年頃の姪と彼らはとても仲良しで、3歳の息子はいまいちその中には入れないので、けいこと三人で公園に行くことにした。 大きくてながいすべり台のある公園で、息子は大層それが気に入って、何十回も滑っていた。 公園というところは、基本的に私にとっては(きっと多くの大人にとっても)つまらない場所である。 遊具も大きさが合わず楽しめないし、砂だらけにもなりたくない。 かと言って、目を離して動画を見るなんてこともできずに、安全のための見守りも必要である。 でも、子どもは楽しそうだから、あまり早く帰ろうとも言えない。 最近は「良い写真」「良い動画」を撮影することで、その溜飲を下げることにしている。 撮影をしていればだいたい見守りも可能なので一石二鳥である。 3か所公園行脚をして、5~60回ほどすべり台を滑って帰宅すると、小学生チームは人生ゲームをやっていた。 けいこは人生ゲームは起きることが理不尽すぎるのでやりたくないそうだ。 この日、息子はあまりに疲れたようで21時半頃こたつで勝手に寝てしまった。 4月6日。 98歳になる母方のじいさんに会いに行く。 姪や息子のひいじいさんである。 生きる化石、と冗談を言いながらじいさんのいる施設へと向かう。 私ももう何年も会っていないので少しだけ、落ち着かなかった。 じいさんは寝たきりということもなく、耳が遠いのとやや呆けているので会話はあまり成り立たないが、座って食事をしていた。 95歳差の息子を見て手を伸ばしてきたので、息子はびっくりしていたが、タッチすることができた。 私が書いた「九十八」という書を持って写真を撮るなどして、部屋を後にする。 近くに住む叔母さんにもちらっと会ったが、少し見ないうちに本当に老けた。 それは私も当然ながら同様で、じいさんはまだ生きているが、もはや世代交代は完全に進み、新しいピカピカの子どもたちがうろちょろとしている。 私が50年後生きているかどうかは知らないが、こんなふうに自分の子孫がうろちょろしているのを見るのはきっと幸せのひとつだと思えるのではないだろうか。 けいこ宅に戻り、カレーライスの残りで昼食として、14時には蒲郡を出た。 降りるべき新横浜に着く10分前に息子は寝てしまった。 寝ている息子と重たい荷物を腹と背中にくっつけて、新横浜駅で姪とは別れた。 私たちは二人で、夫の実家へ向かう。 夫なしで夫の実家に泊まるのは初めてだろうか。 息子はエレベーターごっこをしたり、チョコパイを食べたり、自由に過ごしていた。 夫がいないことをいいことに夫の話などをする。 4月7日、夫の実家から帰路につく。 生憎の雨降りで、お義母さんがバス停まで傘をさして送ってくれた。 唐揚げとかとんかつとか、大量のお土産をいただいて、それは重かったけれど今日の晩御飯と思えば辛くはなかった。 またしても、降りるべき駅の10分前に息子が寝てしまったので、今度は下りずにそのまま寝て通り過ぎることにした。 引き返しやすい駅で引き返すことにして、私も少し電車で寝ることにした。 暫くして息子は目覚め、何とかして最寄り駅までたどり着く。 息子に、「お母さん疲れちゃったから抱っこできなくて、歩く歩くしてもらってもいい?」と聞くと「いいよー」と元気よく帰ってきた。 小雨の降る中、二人でフードをかぶり手をつないで家まで帰った。 空白の1週間、完遂。 <YouTube> ⇒書道家・池田勝一が古典をディグるワケ【書道を流行らせたい!】 書道におけるフォントの可能性?- お字書き道TALKS #020 ⇒そんな読み方アリ?!万葉仮名【古代日本人が漢字と戯れた理由】- お字書き道TALKS #021 <note> ⇒キラキラネームが消滅!?2023年現在名前に使える文字全部【1/3】 ⇒時に裁判騒動!キラキラネームは伝統文化!?明治・大正時代の実名実例集【2/3】 ⇒名付け文化にメス?!キラキラネーム法改正案【3/3】
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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