タイピングが乗っているので、ブログの連投をしておこう。
今の感じの更新ペースだと、書の画像の方が溜まってしまう。 まあ1記事にたくさん書の画像を載せても良いし、別に載せなくたって良いのだけれども。 ヒップホップのフリースタイルのように、思いつくままに言葉に詰まらずに途切れさせずに書いてみよう。 フリースタイルを知って、推敲に推敲を重ねて言葉を紡ぐことも良いけれど、その場即興でとにかく何かを言う、吐き出す、ということにも興味を持っている。 というか、日常している会話は、ほとんどが即興なわけで既にやっている。 やっていないのは、リズムに乗せること、韻を踏むこと、勝敗を付けること。 今現在止まらない音楽の中で8小節毎に対等に何かを言い合う。 メディアの操作や上下関係などの柵が多分に在ったとしても、あのスピード感で全てを演じ切ることは無理だと思うからその人の何かが漏れ出でる。 先日友人とフリースタイルを試しにやってみた。 もちろんのこと、全然上手くできずラッパーについての敬意は上がる一方なわけだけれど、ビートの中に放り込まれて固まってしまったり、笑ってごまかしたり、ちょっと喋ってみると同じ事ばかり繰り返してしまうことがもうとても恥ずかしい形で露呈した。 そんなことは知っていたけれど、いざ自分でその自分の姿を目の当たりにすると情けなくもなった。 かと言ってその後フリースタイルの練習をしているわけではないのだけれど、こうしてできるだけ速く、バックスペースや挿入を使わずに文章を書いてみたり、書においても思いつく言葉を書き殴ってみるという実験をしたりはした。 しかしやっぱり止まらないビートという存在は大きいもので、そこに乗らずに結局いつもの自分の呼吸感に乗っ取られているような感じは否めなかった。 知ってはいたのだけれど、私が音楽ができないのは、既に存在している流れゆくものに付いていけないからだ。 この話だとおそらく私はサーフィンもできないだろう、やったことはないけれど。 自分のペースで良いのだ、ということはある側面においては然りだと思うけれども、結局我々は時の流れに逆らうことは誰もできないわけで、ビートに乗る、流れに乗る、という概念は必要な気がするし、それが私の生活にあらゆるところに足りていない気がする。 と、これも知ってはいたのだけれど、今これを書いていて何だか少し腑に落ちた気がする。 大事なことは、納得することで、腑に落ちることで、腑に落ちたいのだ。 『あきらめ』ということほど言い易くして行い難いことはない。それは自棄ではない、盲従ではない、事物の情理を尽して後に初めて許される『魂のおちつき』である。 これは山頭火の「赤い壺」の冒頭であるが、もう締め切りが迫っている展覧会でこれを書こうかと思っている。 そう、このこと自体の概念の存在は、知ってはいるのだけれど。 またしても、こんなことを書くつもりではなかった。 歯医者に行って、プールに行ったことを書きたいと思っていたのだ。 そう、歯医者に行って、プールに行ったのだ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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