Tictokというショート動画がアップロードできるSNSは知ってはいたが、まるで興味もなく、ここまで過ごしてきた。
Facebook、Instagram、TwitterにTictokも加えて四大SNSの時代だろうか。 お字書き道TALKSでもやってみようということになり、先日から、書作のアップロードを始めてみた。 Tictokは基本的にはレコメンド式で1分ほどの動画が次々と上がってくる。 濁流のようにどんどんと押し寄せてくる短い動画。 最初にダンスで流行ったように記憶しているが、やはり「音楽と動き」が重要なメディアなのだろう。 何気に自分が作品を書いている様を撮ったことがなかったので、なかなか面白い。 ただ、iPhoneを紙の上に設置にして撮影しており、その高さが筆の長さよりも低いために直筆が使えないのが痛い。 直筆、というのは筆をまっすぐ垂直に立てて、穂先で書く書き方である。 ぜひご覧ください。→お字書き道TALKS Tictok 先日からチラチラとTictokを覗いているが、小中高生の若者が多いというだけあって、本当に全然共感できないというか、よく分からない。 自分の子どもでもおかしくないくらいの年齢の子たちの間で流行っているのだから、親世代の私が理解できないのは当然と言えば当然か。 子どもを持っても、持たずとも、”親世代”になった、”親世代”ど真ん中、なのである。 世代の価値観、当たり前、というのは本当に人間性に影響を与えるように思う。 「あの人が生きている時代に生きられて嬉しい」というのも、やっぱり生きているその生身の人間への欲求、落合陽一さん風に言えば「質量への憧れ」があるのだろうと思う。 現に私も甲本ヒロトが生きている時代に生まれてすごく幸いに思っているけれど、やはり、甲本ヒロトがザ・ブルーハーツとして生きている同じ時代を生きたかった。 今の子たちはそういう感覚とも少し違ったりするのだろうか、どうなのだろう。 推しと握手するのにCDを何十枚も買ったり、何時間も並んだりとか、そういうことはあるのだろうか。 30代よりも上の世代は、何かしら「質量への憧れ」というのは体感として分かるのではないかと思うが、10代20代の彼らはどのように思っているのだろう。 話は全く飛ぶが、眼鏡を寝返りで踏んづけてしまって、ぽきっと折れて壊れてしまった。 1,2年くらいにコンタクトレンズを付けた。 最近では眼鏡を付けている顔が通常になっていたので、眼鏡をかけていないと何だか裸な感じがする。 あと、不思議なことに背が高くなった心持ちがする。 眼鏡を変えたいとは思っていたのだがあまりに急な出来事で、予備眼鏡を探してみても見当たらないし、眼鏡屋に行く時間もない。 困っているけれど、コンタクトレンズも顔が軽くて良いもんだ。 <note> まるで謎解き【戯書①】万葉仮名・和歌編 まるで謎解き【戯書②】エモい苗字編 幻想的!かんたん☆墨流しのやり方 【濁点の歴史】天皇は「人間宣言」から濁点を使うようになった
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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