数日前、電子レンジを使っている最中に「しゅぅん」と言って電気がいきなり切れた。
最初はブレーカーが飛んだのかと思ったけれど、冷蔵庫は点いているし、明らかに電子レンジだけがパタリと動かなくなった感じがあった。 まだ買って1ヶ月半である。 カスタマーセンターに連絡すると、「電源コンセントを抜き差ししてみてください」と言うので、「それはもうやりましたので」と答え、修理に来てもらう手配を行った。 翌日、使えるかなと思ってあたためスイッチを押してみたけれどやはりうんともすんとも言わなかった。 冷凍してあるごはんを温めて食べようかと思ったけれど、そうかそれはできないのかと気づく。 私は平日に在宅していることが多いから良いものの、一人暮らしで会社勤めしていたら修理日程が合わず最悪1週間程度電子レンジがない状況が生まれてしまう。 無論電子レンジがなければ暮らせないわけでもないのだが、事実夏場に冷蔵庫が壊れるよりマシだろう、いつもあるものが無いとなると余計に不便感を募らせてしまう。 買ってきた弁当だって温められず、冷たいごはんを塊のまま口に放り込むことになる。 まあでもそれが新鮮で美味しいといったこともなくはないだろうけれど。 葬儀等で少し延びてしまったが早々に修理の方がいらしてくれた。 15分ほど作業したところで、ピッ、という電子音が戻ってきた。 試験運転も成功しているようだったので、「何が原因だったのですか?」と聞くと、内部の線が1本抜けてしまっていたとのこと。 おそらく工場の組み立て時に差し込みが甘かったことによるものでしょう、と。 保証対象期間であるし料金はかからなかったけれど、謝罪の気配は全くなかった。 まあでも、この修理の方は修理という使命を完遂しただけなのだから、本社工場のミスは自分の仕事には関係ないということだろう。 確かに、それもそうだ。 しかし、この社会では謝って済むことばかりではないかもしれないけれど、誠実に謝って済むことは案外多いと思うので、こちらに何の落ち度もないのなら謝っておいた方が修理の方でも無難なのではないかなとも思った。 いやでも、謝ったことに付け込んでさらに煽ってしまうことも考えられるだろうか。 電化製品のハズレはきっと1万台分の1程度なのではないかと思うけれど、過去にはPCの初期不良や暖房器具の故障などにも出くわしたことがある。 現状、2年ほど使ったコピー機の印刷が全くされないという事態も起きている。 2年使って壊れるのがどれほどの確率のことなのか分からないけれど。 ここ一週間の荒波で私は疲弊していたので、そんなことをおぼろげに考えながら、修理の方の作業中、PCで作品画像の整理をしていた。 ただ、こんなときほどなぜか取り留めのない文章が書きたくなる。 おばあちゃんの葬儀も滞りなく行われた。 叔母さんからおばあちゃんの過去のエピソードを聞いたりして、なんだかもう本当に泣けて泣けて仕方がなかった。 前日に書いた浄土真宗のお経を棺桶のおばあちゃんの足元に入れた。 90×240㎝というかなり大きいものをたためるだけたたんで入れたので、火葬後に白い大きな灰の塊として残っていた。 お坊さんのお説法の中に、「立て続けにこういったことがあると、私だけ辛い、良くないと思ってしまいがちですが、本来そもそも人間は皆平等であると考えられています」という話が印象的だった。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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