とある仕事で飯能に向かっているのだが、飯能が一体どんなところなのか、西武線の果て、電車の終点で見かけるという以外に全く知識がない。
1時間超、思えば遠くに来たものだ。 キャリア契約のインターネット使用量が上限に達してしまい、ネットサーフィンができないのでこれをメモ帳に書いている。 美術の本も鞄に入っているのだが、なんだか酔ってしまいそうで開く気になれない。 下を向いてスマートフォンをいじるのも同じではないかと問われれば、何が違うのかよく分からないがそれは問題ない。 息子に「おしり、おしり」と付き纏われる日々である。 「おしり」は「おんぶ」のことで、私がちょっと移動しようとすればすぐに「おしり、おしり」と言って背中に登ろうとする。 寝室からリビングへ、リビングから玄関へ、トイレからお風呂へ、全部「おしり、おしり」とせがまれる。 今日は初めて抱っこ紐を使っておんぶで保育園に登園してみた。 思いのほか、抱っこよりも腰に負担がかかる。 後ろの息子が自由に動けば動くほど、私の腰な嫌なストレスがかかっているのが分かる。 また、抱っこ紐を装着して息子を背負い、その後コートを着ようとしたけれど2人分の身体がコートに入るはずもなく、コートは身体の全面に着ていくことにした。 リュックも背負うことができないから手持ちであり、ものすごく身動きが取りづらい状況になってしまった。 重みのかかる腰を庇いながら、えっさほいさとむすこを保育園まで運ぶ。 少し辛いのだけれど、一緒に歩いていくと、勝手にあらぬ方向に走っていってしまったり、公園のすべり台をすべったり、思い通りにいかないと道路に寝転がったりするので、我が身に一体化させてどこにも行けない状態というのは安心でもあり楽でもある。 いや、楽ではないけれど。 保育園に着くと、コートの上から抱っこ紐をすると良いですよと教えてくれた。 なるほど、帰りはそうすることにしよう。 なんでも実際にやってみないと事の本質は分からないものである。 やってみないと分からないと言えば、最近YouTubeのチャンネルを立ち上げようと友人と共に撮影をしている。 機材にしても、カメラワークにしても、喋るということにしても、動画編集にしても、やってみると分かる実感ばかりで、いかに「普通」に見えるものを作るのが大変かが分かる。 何か物事を分かろうとするときに、少し分かってくると、分からないことがより膨大に分かってくる。 だから、とにもかくにも分からないことが分かるまでやるというのは価値がある事だと思う。 YouTubeチャンネルの名前は「お字書き道TALKS」と言う。 「お字書き」というのは、「お絵描き」という言葉から私が作った造語である。 実は私は「書道」という言葉を使い慣れなくて、字で遊んでいる延長にあるという意味を込めて「お字書き」と言いたい。 それに、「字はみんなのもの」なので、誰でも字で楽しめる、楽しんでもらいたい、という願いも込めて。 最初のうちは所謂「美文字」を取り扱う。 私は「書道」という言葉も使い慣れなければ、「美文字」という言葉ももっと使い慣れない。 普段の対面レッスンのときは、「皆が一般的にきれいと思える文字」と言っているのだが、回りくどいかなと思って「美文字」と言っているが、やはり今書いていても恥ずかしくて仕方ない。 2022年1月1日に第1回をアップできたらいいねと友人と話している。 YouTubeはなかなか見る習慣がないと見ないものだと思うけど、ちらっと覗いてみていただけると嬉しく思います。 それにしても、自分がYouTubeのチャンネルをやってみようだなんて、随分遠くに来たものだ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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