初台のオペラシティでやっている篠田桃紅展に行く。
都庁前でかな文字を習ってから歩いて行こうと思って行ったのだが、案外距離があった。 もちろん、日々1万歩目標の私としては歩くのは嫌ではないのだが、生憎梅雨寒の小雨降りであった。 西新宿~都庁前のあたりは巨大なビル街で、一つのビルを通り過ぎるのも結構な時間がかかる。 そのためあまり景色が変わらず、実際の距離よりも遠く感じがちである。 まあいつものごとく、少々迷ったということもある。 家に戻り、すでに13000歩。 保育園へのお迎えで今日はかつての日々の目標15000歩を超えるだろう。 しかし、11000歩を超えると身体が疲労感で満ち満ちることになる。 ついでに、最近重たくなってきた息子を抱っこして歩くことがたくさんあるので、股関節をやや痛めている。 息子は今12キロ超なので、私は事実上、2リットルの水6本、段ボールひと箱を持ってスーパーを往復できるくらいの筋力があるのだと思うと、自分の体力もばかにできない。 まあ人と段ボールの水では形が違うので、感じる負担は別物とも言えるが。 ちなみに息子は抱っこの際、あまり抱き着いてはおらず、全体重をそのまま私に乗っけるスタイルである。 篠田桃紅展はものすごい量の展示があって、確か1年くらい前に横浜で観たものと同じだったこともあり、やや食傷気味であった。 いやしかし、107年間の生涯を通していくつかの己の型を作り出して、どこに飾られていても、作者の表記がなくても、「篠田桃紅だな」と思わせるブランドを作り上げた彼女には敬服するしかない。 併設の1960~80年代の抽象絵画展もなかなか見ごたえがあった。 李禹煥、吉原治良、白髪一雄、山口長男、アントニ・タピエスなど、作品を観るだけで名前が出てくる作品も多くあった。 言わずもがな、抽象表現は誰が書いても同じ、ではない。 私はそんなことも知らない人間だったのだが、思えば遠くに来たもんだ。 また、併設されていた諏訪未知さんという方の個展もとても興味深かった。 幾何学風の絵なのだが、どこ不完全で、その不完全さに見る人は目を奪われるのではないだろうか。 これは多くの絵画や書がそうだと思うが、揃わない美、整然としない美、というものに多くの人は魅力を感じるのだと思う。 しかし、その、揃わない美、整然としない美、の作り手は、鑑賞者の思う以上に理知的で精緻に事を進めているに違いない。 その緊張感がまた目を留めるきっかけとなるのである。 東京を愛してやまない私だが、家を引き払って田舎に暮らしたらどうなるだろう、と夢想することが最近ある。 最も懸念されるのが、こういった美術活動が頻繁にできなくなることなのかもしれない、と思った。 本当に、本当に、思えば遠くに来たもんだ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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