夫が休日出勤の日曜日。
正直なところ、私は息子をひとりで丸一日見ることを少し苦しく思う。 言うのは少々憚られるが、それでも言うが、朝から晩まで息子とふたりきり、というのは私は好きではない。 これはたぶん、ひとりで息子を見ると、私のほとんど全部、を息子に捧げなければならないからだろう。 ご飯もトイレも散歩も遊びも、唯一昼寝のとき以外は、どんなときも息子を見守っていなければならない。 しかも時々、いや頻繁に、息子に対して制止の声や手を伸ばさねばならない。 あとそれから、息子を可愛がることはふたりきりのときでも大いにするけれど、可愛がるという行為自体もパフォーマンスというか役割演技的なところがあって、誰か息子以外に見ていてくれる人がいるときには大いに盛って可愛がるという行為を私はする。 息子を可愛がる私を見てください、ということになり、私はそれを否定しないし、それに周囲の期待に応えている節もある。 本人が意識的無意識的に限らず、これははおそらく皆そうなのではないかと思うが。 とにかく誰でも良いので、誰かと一緒に息子を見守りたい。 だから前もって息子と長い時間ふたりきりになるときは、けいこを呼んだり、いもうとに声をかけたり、ベビーシッターさんを呼んだり、友人を呼んだりする。 しかしこのコロナ禍という時世のせいで、そういうことは思い通りに行かないことも多い。 一方で、息子はどうも私とふたりきりになりたいらしい。 私以外に人を露骨に敵視したり警戒したり、「バイバイ」と追い出したり。 そういうときは、親の顔を見てみたい、と親が先手を打って言うことにしている。 昨日は、いつも通りの7時半に起きて夫も一緒に朝ごはんを食べる。 4時や5時に目を覚まして困っているというお母さんも世の中にはたくさんいるらしく、本当に幸いなことに息子はそのタイプではないのでそこは有難く思う。 夫を送り出し、夜に干した洗濯物などを片付け、怖がる息子を尻目に軽く掃除機をかけ、とりあえず外に行こうと着替えさせてトイレを済ませる。 9時過ぎに家を出て、息子の行きたい方向に任せてみると、マンションのエレベーターとエントランスの扉で一向に進まない。 エレベーターはボタンが押したいのと、扉の開閉が見たい、エントランスの扉は両開きで重たいのだが、それを自分で開閉したい。 それも危険が潜んでいるので注意深く見守らねばならず、時には無理にでも制止しないといけない。 しばらく自由にさせたが、もう行くよと私が少し離れると怒ってついてくる。 息子もけん制して、マンションの入り口付近で寝転がってストライキを始めた。 急いでいるわけではないので、私はしばらく遠くから見守っていると、そのうちに諦めて私の下に来て「がっこ(抱っこ)」と言う。 「よく来てくれたね、ありがとう」と私はぶちゅぶちゅと息子にキスをしながら、ようやくマンションの外に出た。 息子には明確に行きたい方向が決まっていたようで、途中で抱っこから降りた彼は色々と気を取られながらもある方向へと確実に歩を進めていた。 駅である。 とにかく電車狂の彼は、先日乗った駅の入り口を覚えていたらしい。 しかも最寄りの駅ではなくて、ひとつ隣の駅である。 仕方がないので、ひと駅地下鉄に乗って帰ることにして、地下に降りる。 エスカレーターもエレベーターも改札も、彼にとってみればアドベンチャーワンダーランドなので、ひとつひとつじっくり楽しみながら。 通過列車が大きな風を巻き起こすのは少々怖いらしく、また「がっこ(抱っこ)」と言って私に抱き着きながら電車を鑑賞。 通過列車の音に負けないくらい「でんしゃ!!!でんしゃ!!!!!でんしゃ!!!!」叫んで、私はあぁほほえましいなあと思うのだが、今回はそう思ってくれている周りの人はいなさそうだった。 電車にひと駅分だけ乗って最寄り駅まで戻る。 タイミングを逃すと彼は怒って電車から離れられなくなるので、繊細なタイミングを見計らってエレベーターのボタンを押させて改札を出る。 こういうときも、ひとりで対処するのとふたりで対処するのは緊張感が違う。 今回は極めてうまいこと駅を脱出することができた。 この日はなるべく仕事を入れないようにしていたが、11時から息子同席でも問題ないと仰ってくれた生徒さんがいらした。 禁欲していた電車動画やら何やらを解禁して気をそらしつつ、本当に何とかかんとか、60分のレッスンを終えた。 一人分の袋ラーメンを茹でて、息子と食べる。 息子は半分くらい食べただろうか。 プリンも食べて、ふたりでごろごろして、「おかあさんといっしょ」のDVDを見ていると、息子の嫌いなロボットのシーンで大泣きし始めて、そのまま泣き寝入りしてしまった。 私は郵便指導の添削などをやろうかと思っていたのだが体が動かなかったので、一緒に寝ることにした。 私の方が先に目覚め、郵便指導の方へのお手紙を書いているところで息子もシャキーンと起きてしまった。 食パンがなかったので買いに出ようと、再びふたりとも出かける準備をして家を出る。 朝の状態をそっくりそのまま繰り返して、埒が明かないので、再度家に戻って抱っこ紐に括り付けて出ることにした。 そうしたはいいものの、息子は抱っこ紐の中で、猛烈に駅に向かえと暴れだした。 もう仕方がないので食パンは諦めて、二度目の駅に向かう。 どこかに行くつもりはなかったので、見るだけだよと伝えて、地下深くに潜っていく。 改札で駅員さんに「乗らないのですが、入場券ってあったりしますか?」と聞くと「それはありませんが、何をしますか?」と聞かれたので「息子が電車を見たいと言うので」と正直に答えると、「そういうことでしたらそのままどうぞ」と改札を通してくれた。 息子はまた相次いでやってくる電車の風にびびりながらも、「でんしゃでんしゃでんしゃ」と満喫していた。 ずっと抱っこしていたのでぐったりして家に着くと18時。 あぁようやく今日の終わりが見えた。 もちろん端折ったこともたくさんあるし、細かいことはあまり覚えてはいない。 子育てを楽しむ、というポジティブな言葉は、それを体現できるときとできないときと、差が大きい。 総じて、楽しんでいるのではないか、と自分では思っているけれど。 色の異なる感情はなかなか同居できないので、子育て中にはべらぼうに可愛いと思ったり、あぁ面倒だと思ったり、色々交互に訪れる。 そのことそのものを、子育てを楽しむ、と言っているのなら分かる気がする。
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|