久しぶりにどつぼに嵌まる。
一旦そこから抜け出した今、浅くない安堵の気持ちと、恐怖感の後遺症で心のやり場に困っている。 臨書ではなく、自分なりの真面目な楷書体の半切作品を書いていた。 私が中学生の頃、ただの漢字ノートの宿題で、はたと、「書」ではなく「字」に目覚めたときに憧れたイメージな“きれいな字”の再現。 中学生の頃には既に習っていた書道教室を辞めていたし、書道部でもなければ、高校生になっても選択科目の授業は音楽だった。 長らく興味と憧れはいろんなものに覆い隠されて、しかし、なくならずに残っていたらしい。 大人になって、書道を再度初めて、ここ3,4年ほど人にペン字や筆ペンを教えるようになって、それはかなりブラッシュアップされてきた。 私の書く字の中で一番私が私らしいと思うのは、実はほとんど我流の楷書体である。 ちなみに、”一般的な”行書体も血肉になっている色々はあれど、ほとんど我流である。 そんな楷書体において、あまり好きではない字というものは少ないけれどあって、しかしまあそれなりにほとんど全ての漢字ひらがなカタカナにおいて自分なりをバランスを取ることができる。 漢字はパーツでできているわけだから、たとえ知らない漢字だったとしても。 が、今日はなぜだかいつもよりも筆の動きが悪く、その上、「樹」という字がどうしても定まらない。 どうしてもどうしても定まらない。 どうしても、どうしても、どうしても。 私は怖くなった。 線質も出ないし、なんだか全然乗ってこない。 肝が冷えた。 いつもは”それなり”ならなんとかなるので、こんなことは本当に珍しい。 14字の漢詩を書いていたのだけれど、「樹」は二字目に出てくるので、半切10枚くらいが「松樹樹樹樹樹樹樹樹樹樹樹樹」となった。 「樹」以外も書いては見るものの、なんだか本当に筆が言うことを利かない。 まあ普段あまり使わない筆ではあるのだけれども、それにしても。 しかし、ここで逃げる方がよほど恐怖だ。 この恐怖を残したまま、明日なら書けるかも、などということで、もし明日またどうにもならないかもしれない恐怖に今打ち勝てない。 どうにかこの半切を見られるくらいの作品に仕上げなければならない。 しばらく耐え忍んで筆を利かせていたらようやく「樹」の収まりが見えてきた。 それと同時に、それまで使っていた半切が終わって、別の種類の半切に変えた。 筆が、思い通りに、動く。 !!!と思った。 これは、紙のせい、だ。 いや、己の技量不足のせい、なのだけれど、その紙が他の紙と比べてものすごい水分吸収力があって、あまりにもこのタイプの楷書体の書き方に向かないのだ。 筆が上手く動かない原因は、言ってみれば、もさもさのスコーンを食べているときに口の中の水分が枯渇するあの感じに似ている。 また、比較的濃墨を使っていて、比較的早くない運筆のために、紙に墨が取られ過ぎてしまっているからだ。 私は特段紙にはこだわりがなく、練習用の紙はインターネットで安いものを買う。 色々使ってみたくて、だいたい同じものはあまり買わないけれど、これはもう買うのを止めよう。 紙が変わって、いつもの筆さばきに戻り、「樹」も収まって、それでも色々色々出てくるものだから書き直して、3枚を清書とした。 OKを出す人間は、結局どんなときだって私しかいない。 たとえばどんな巨匠に褒められたって、その賞賛が納得の少しの上乗せにはなり得るけれど、私がOKを出していなかったらOKにはならない。 いやしかし、どつぼは怖い。 ところでどつぼって何だろうと調べてみると、肥溜め、らしい。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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