人生で2回目、自分で裏打ち作業をする。
裏打ち、とは出来上がった書作品などの皺を伸ばして裏紙を貼り付けることである。 私は工作的なことは全般的に苦手だしできればやりたくないのだけれど、その理由の最たるものは、説明書を読む、そして説明書通りに実行する、ということに非常に面倒を感じてしまうからである。 同じ理由で、電化製品の設定やら家具の組み立ても恐ろしく苦手だ。 同じ理由で、レシピ本や料理番組を眺めても、それ通りに作ったことはほぼない。 業者に出しても良いのだけれど、あれやこれやもたもたしているうちに渡しに行く日にちの前日になってしまったので重すぎる腰を上げて自分でやることにした。 10倍に水で溶いた糊と、3倍に水で溶いた糊を用意する。 まずこの時点で、え、となる。 こういう場合、糊と水の量をはかりなどで量るのだろうか。 いや、そんなことはできないし、家には計量するものがないので目分量になる。 しかも極めて適当に。 しかも始めて気付いたけれど、あると思っていた障子紙のような裏打ち用紙を既に切らしていたようで、しかしそれでもこの作業の完遂に向けて進もうと書道用紙を包んでいた紙で代用する。 裏打ちをするときは、作品の方も裏打ち用紙の方もびたびたに紙を濡らすのだけれど、それで裏打ちの紙がもろもろに崩れ破れてしまうものだったのならもう作品の方もおしまいである。 それでも進もうとするのは、この作品の宛先がいもうとだからということもあると言えばある。 不安を抱えながら、二つの紙をびたびたに霧吹きで濡らし、目分量10倍の糊を刷毛で塗る。 作品に裏打ち用紙を張り付けて、刷毛で空気を抜いて整えていると、もろもろと紙の繊維が出始めた。 まずいと思って、多少皺が残っていたけれど刷毛で撫でるのを止めた。 10倍と3倍の糊を別の容器に作るのが面倒だったので、10倍をなんとなく3倍になるように糊を足した。 作品の縁に目分量3倍の糊を塗って、そうっと、そうっと、破れないように移動させる。 乾かすのにベニヤ板に貼り付ける、とあったけれど、そんなものはないので、クリアファイルをいくつか広げて乾燥させることに。 そして出かけた。 作品と裏打ち紙が剥がれてしまっているだろうかと恐る恐る帰って見たけれど、それなりに出来上がっていた。 どう見たって雑な感じは否めなかったけれど、裏打ちをしたら紙の皺がある程度ピンとして厚みを増し、作品感が出た。 適当でもやればできるもんだ、と、はみ出た裏打ち紙をカッターナイフで切り取る。 これはいもうとの新居に飾られることになっている。 ふたりの姪っ子の名前にある「珠」という字の書だ。 いもうとの新居は、なんだか階段ばかりで不思議なつくりをしていた。 床の色が前のマンションと変わらないのと、当たり前だけれどそこにいる人物やらおもちゃが前のまんまなので、新居の新鮮味をあまり感じなかった。 私のごった煮よりも豪華なごった煮のいくつかをごちそうになって、私はお気に入りの食パンをあげた。 下の姪は相変わらずお母さんと双子の私にもあまり懐かず、上の姪はますます達者な少女になっていた。 彼女たちは次第に一緒に遊ぶようになってきて一見仲良しそうに見えるけれど、姉は妹のことを我関せずだし、妹は姉のやっていることを邪魔しようとするだけなので、「仲良し」ということではなさそうだ。 おばさんの私はいつものように眠たくなって、上の姪に「寝ないでほしいな」と言われて。 いつもはお風呂上がりにぎゃんぎゃん泣く下の姪がなぜかおとなしかったので、私は初めてオムツを付けることにようやく成功した。 「おばさん泊まっていけばいいじゃん」と上の姪に言われたけれど、「おばさんは帰るよー」と玄関でタッチしていもうと宅をあとにした。 新居から駅までの道に迷いながら、私は帰路の電車で落ちるように寝た。 それより、私が伝えた額の大きさが間違っていて、持って行った書が入らなかったのは失態である。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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