小さな呼吸をしている子の、小さな手を握る。
小さな手の彼は、手をつなぐ、なんてことはまだ知らないだろう。 今は胎内でよくしていたしゃっくりを、この世でも引き続き、ひきゅっ、ひきゅっ、と音を立ててしている。 退院して6日。 今のところすこぶるよく寝る子である。 出産した。 心の予定日から25日ほど、医学的な予定日から10日ほども遅れた。 私の身体と心は既に幾つかの意味で飽和を超えていた。 普通の経膣分娩の予定がいろいろあって、結局帝王切開で彼を胎外へと送り出した。 何だかまだ、この出産一連の出来事を振り返るには気が乗らない。 というのも、出産というところにフォーカスして言えば、決して「良かった」と手放しで言える体験ではないからである。 良くないから語りたくない、ということもあるかもしれないが、私の中での落とし所というか理解や納得がまた不完全である。 友人のおばあ様が「出産は棺桶に片足突っ込んでいるようなものだ」と言ったそうだが、まさにそんなふうに思った。 身体だけの問題ではなく、心の問題も含めてである。 妊娠中、心と身体を切り離して“わたし”は身体の痛みによって傷つかない、という実験をしようと思っていて、実際に試みようとしたがあえなく水泡に帰した。 私の精神力が足りなかったのか、そもそもやはり心身は切り離せないものなのか。 いくつかの理由で長くなってしまった入院生活中、何度となく私は涙をこぼした。 泣きたくて泣いていた。 泣いている“わたし”を外側から観察する“わたし”がいた。 ホルモン様のせい、というのももちろんあるとは思うが、身体の衰弱が心の衰弱に拍車をかけて、それでも理性が壊れ切ることもなく。 夫は、4日間の陣痛と帝王切開はマラソンを走った後に交通事故に遭ったようなものだから仕方ないと慰めた。 すごく大変だったけど終わってみれば良い思い出、そんなふうにも今の時点ではできない。 経膣分娩でも帝王切開でも、赤ちゃんの可愛さでその痛みなんて吹き飛んでしまう、ということをよく言うものだが、私は今到底そうは思えないのである。 私はきっと、出産というものにとてつもなく大きな、何もかもを凌駕する未知の感動を、知らず知らずのうちに期待していたのかもしれない。 それを思い知るとき、「期待は失望の母である」との大瀧詠一さんの言葉を思い出す。 出産だって当然のことながら例外ではないのである。 この子はきっと、一人っ子になると思うが、もしそうでなかったとしたら私もその痛みや恐怖やえも言われぬ不安感を忘れることに成功したのだということになるだろう。 しかしおそらく、私はこの数日間の体験を数年をかけて考えて受け入れていくような気がしているので、きょうだいは作ってあげられないと思う。 私は4人きょうだいだが、きょうだいが多いことのメリットと一人っ子のメリットの総量はあまり変わらないと昔から思っているので私としてはこの点は特段差し支えない。 体験談としてひとつ今言えることとしては、帝王切開手術は少しの楽しさがあったということだろうか。 もう一度やりたいものではもちろんないが、手術自体や下半身麻酔も初めての経験だったので、自分の身体における実験的な面において良い経験だったように思う。 手術中の出来事はほとんど事細かに思い出すことが出来る。 どこか外国を旅して盗難に遭ったが無事に帰国した、というくらいの話のネタにはなる。 しかしながら、産まれた子のこととこれらの体験は自然と切り離されていて、小さな子を見ると身体は反応して子宮が収縮を起こす。 出産後、膨らみ切った子宮は復古にひと月ほどかかるのだが、それは子への愛情のようなものを感じるとそうあうホルモンが分泌されて早まるらしい。 不思議なのは、この子が私のお腹の中から出た私の子、という実感があまりないということである。 この柔らかで小さな存在を、私が育てて良いのね、という感じだろうか。 これは帝王切開だったから、ということではないような気がする。 親であれば産まれた自分の子を強く強く認識するものだ、そんなふうに思っているつもりはなかったのだが、これも呪縛期待の幻想のひとつを心の奥底に持っていた証拠なのも知れない。 彼は、まだ生後数日だが、日に日にできることが増えていく。 おっぱいを飲んで眠っておしっこをしてうんちをして。 基本的にはそれだけで一日が暮れていく。 過度な期待なく、誇張なく、一緒に一歩ずつ進めたら良い。 けいこが手伝いに来てくれていて、とてもとても、良くしてもらっている。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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