さてあれから。
息子は全快したが、保育園がコロナ騒動で不定期に休園になっている。 夫と連携して仕事を調整。 息子はと言えば、家にいられるのは嬉しいようである。 さすがにと言うか、まあ始めからネタ不足であり。 家にはプラレールやトミカは山ほどあり、それなりにそれで遊びもするし、「おかあさんといっしょ」の映画版をAmazonプライムでもう何十回見ているか分からない。 家にいるより、保育園の方が様々な遊びができて楽しいのではないかと思うのだが、やはり彼にとっては保育園は仕事という感覚のようである。 家の中ばかりでは仕方がないので、外へ行こうとすると必ずトミカの神奈川県警のパトカーを握りしめて出かける。 それをそこかしこで走らせては、ほふく前進をしながらトミカを間近に観察して喜んでいる。 子どもに清潔観念がないのは今も昔も変わらないだろう。 外に出る度にズボンを変えて、ジャンパーは一日で洗うことにしている。 それから、電車電車と言うので、電車に乗りに行く。 公園もすべり台があれば行くには行くが、基本の遊び場はもっぱら電車である。 有難いことに、最寄り駅の路線は平日の昼間はかなり空いている。 優先席に鎮座してしばし電車を楽しむ。 地下ばかりではつまらないので、地上へ出るところまで行く。 場合によってはそのままガタゴトゆらりと寝てしまうこともある。 歩き始めた頃はあんなに歩きたがっていたのに、今は抱っこ抱っこである。 自分が興味のあるエレベーターやエスカレーターなど以外ではほとんど抱っこをせがまれる。 うろちょろされるのも、走ってどこかに行ってしまうのも困るので抱っこも楽だと思うことがあるけれど、やはり単純に重い。 最近は、路線の名前も覚えてきて、西武線、大江戸線、山手線、中央線、新幹線各種など、車両の違いも分かる。 他にもアルファベットの大文字はほとんど分かるようになったり、歌も色々とよく歌っている。 脳の瑞々しさを感じる日々だ。 また、私と台所に入って色々とやりたいらしく、悩ましいところである。 台所の入口にベビーゲートはあるが、私がごはんの準備をする時間締め出しておくなんてことは喚き散らされるのでできない。 子ども用の包丁など買った方が良いのだろうか。 15時前くらいから寝ているような気がするが、現在の時刻は17:08。 たくさん寝かせるのはどうかと思うのだが、私も隣で布団に入ってぬくぬくしているのが止められず起こす気もない。 明日は保育園なのだが、まあ何とかなるだろう。 息子と過ごしている時間は、私の何かはほとんどひとつも進まない。 息子は身を明け渡すことが愛だと言わんばかりの欲しがりだ。 今だって私が隣で寝ているからこんなに長く寝ている。 このように母は猛然たる愛情を息子からいただきながら、限局的な自尊心ばかりを高めて、のんべんだらりとした時間を過ごしている。 いつか息子の愛情の器が満ち満ちて、自立の道を歩んでいってくれると良い。 そのとき私は何を思うだろうか。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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