もし時間が存分にあっても何かをやるとは限らないのだけれど、最近の私は時間のなさに何かとても焦っている。
とても久しぶりに、12時くらいに座椅子で寝てしまってそのまま夜を明かし、明け方5時くらいにもう一度ベッドに移って11時まで寝る。 よく寝た!よく寝た!と身体は声をあげて悦びに満ちた。 私の生活は睡眠によって均衡を保っている。 睡眠が満ちるといろんなことのやる気が出るわけだから、時間がないと言って睡眠を削ることは良いことではない。 仕事のやり方に割と大きな改革を入れても良いのかもしれない。 改革には痛みを伴います、というようなことが、収入が減ります、ということだとしても。 私は私のひとり会社の代表取締役なのだから。 そしてひとりしかいない優秀な社員でなくてはいけない。 私のひとり会社の最大の目的は、売り上げを最大化することではない。 実際は法人ではないけれども。 社員満足、代表取締役満足、そして顧客満足。 なんだか偉そうな物言いだけれど、偉そうにすることも全然まったく目的ではなくて、パフォーマンスの最大化・最適化を自分に図らねばならず、私がコミットすべきは私の持つ幾つかのセルフバリューのシナジーを生み出し、それらをクオリティコントロールすること、そして昨今そのフェーズに来ている、のような感じだ。 カタカナを積極的に使うと何だか面白い。 そして言っていることが言いたいことではなくなってしまっても別にいいか、と思ってしまった。 どんな些細なことでも、個人的な面白味や楽しみや笑いに興じるのは嬉しいことで、そんなとき、橘 曙覧の「獨樂吟」 を思い出す。 「楽しみは~」という歌をたくさん作った歌人だ。 ひとりを楽しめない者は他人といても楽しめません、そんなことが書いてあった気がする。 ベランダに一匹、アブラゼミがひっくり返って死んでいた。 あら、と思ってそのままにしておいたら、次にベランダに出ると、ひょいと起き上がっていた。 まさか死んでいなかったのか、と思ったけれども、生きている瑞々しさがない。 昆虫だから瑞々しいという言い方は変かもしれないけれど、やっぱり生きているものの艶感ではなく、カラカラに乾いている。 つついてみることもなく、またそのままにしておいたら、次にベランダに出たときにはまたひっくり返っていた。 しばらく見ていると、風が吹いて、小さなお菓子の空き袋のような軽さで翻って、アブラゼミが起き上がった。 死んでいることがちゃんと分かって、ほっとした。 日当たりの良過ぎる部屋のベランダで、ちりちり夏の残りの太陽に焼き照けられて、アブラゼミの死骸と煙草を吸う。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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