さて、子宮がグレープフルーツ大になっているらしい。
グレープフルーツ大の塊が身体の中に育っているということは、非妊時からしたら異常というしかない。 今不意にでもお腹に強い衝撃を与えたら、中の子はショック死してしまうかもしれないと思うと、電車に乗るときなどは少しだけ周りを警戒してしまう。 最近も歩けるときには15000歩のノルマを目指して頑張っているのだが、どうにも身体が疲れやすいので休み休み、達成できなくてもすべてを妊娠のせいに押し付けて日々をやり過ごしている。 自分自身の代謝活動以外に、身体の中で新しい組織を丸ごと生み出そうとしているのだから、そりゃあ疲れもするだろう。 私の悪阻はおそらく酷い人からしたらとても軽いものだろうと思う。 お腹が空くと気持ち悪くなる「食べづわり」というやつらしい。 しかしながら、あれほど煮まくっていたごった煮のことを思うと気分が悪くなり、リンゴとカリカリ梅とハンバーグやラーメンが食べたい今日この頃である。 特に白菜や大根といった冬野菜や、丁寧に繊細に味を重ねて作られた料理に嫌悪感を感じる。 あと別に食べられなくても全く生活に差し支えないのだが、なぜかトリッパ(もつのトマト煮)が本当に食べられないし考えたくない。 トマトソースピザやトマト自体は大丈夫なので、おそらくもつに嫌悪しているらしい。 しかし和風のもつ煮込みよりもトリッパが嫌である。 ジャンクフードが食べたくなる、ということは比較的よくあることらしい。 ある人はペヤング、ある人はケンタッキーフライドチキン、ある人はフライドポテト。 ポテトの入った紙袋に顔を突っ込んで匂いを嗅いでいたのはいもうとである。 私はこのメーカーのコレ、というものはないが、コンビニのホットスナックを買ってみたり、男子感の強いてんこ盛りの洋食屋に入ってみたり、ポテトチップスを食べたりしている。 どれもに非妊時にそれらを食べたいと思う回数よりは断然に多くなっている。 リンゴを毎日2個くらい食べるのは、非妊時でもリンゴが家にあれば食べているとは思う。 これまで妊娠した人の悪阻や出産の苦労話など、話半分でほとんど聞いていなかったのだが、事実「食べづわり」なんてものがあることをそうなって初めて知った、いざ我が身のことになればその未知の不思議感に興味津々である。 ちなみに「非妊時」という言い方が「妊娠時」の対義語であるということは、言語上当然なのであるが新しい言葉を得たような気持ちだ。 悪阻は、自分とは違う遺伝子に根付かれて、身体はおっかなびっくり、思わず拒否反応を示してしまっているということだろうか。 しかし、種の存続としての最も重要であると言っても良い生命活動のひとつである妊娠が母体を苦しめているというのは何だか解せない感じがする。 ホルモンバランスが大きく変わるわけで、それに慣れない母体の単純な反応なのだろうけども。 それにしても、妊娠出産にまつわる個人エピソードというのはインターネット上にありとあらゆるものが山のように出てくる。 私も興味や不安でいろいろと検索するのだが、今後何かしらの重大な決断に迫られることもあるのかもしれない。 宗教観や倫理観や死生観などが問われることもあるだろう。 ひとつひとつ、その都度考えていくしかない。 想像しうる事態に事前準備で考えておくことは良いことだと思うが、実際に何かが起こったとき、自分が何を思うかということは本当に予測できない。 そうなって初めて、「あぁ私ってこんなときにこんなふうに思うのね」と認識することも多い。 この場合の「私」とは身体の主体そのものである「私」なのか、はたまた身体の反応を客観的に認識する宙に浮いたような存在の「私」であるのか、判然としない。 ある生徒さんから、この歌詞が面白いと「宇宙の奥の宇宙まで」という福島県の高校の校歌を紹介してもらった。 これが私にとって大層衝撃的だった。 後で知ったが、宗 左近さんという有名なお方の作詞で、一部のネット界では歌詞に出てくる「ゆんゆん」は既に通信の擬態語として定着しているらしい。 私はこの詞を見るや否や、詞の全貌も意味も捉える隙もなく、久しぶりに大爆笑をしてしまった。 自分でもなぜこんなにも面白いのかが未だにきちんと説明できなくてもどかしい。 少し冷静になって詞をきちんと読んでみると、概ねとても賛同できることしか言っていないのだが、その表現の組み合わせが絶妙であり過剰なのである。 無論、ゆんゆん、よんよん、やんやん、という擬態語も可愛過ぎて抱きしめたいというのもある。 真剣に、真っ向から、過剰。 その表現が情景描写として最も適切であるかどうかよりも、その過剰感そのものを描いているかのよう。 表現を過剰に上塗りすることによって、自由で居続けることに対して若者が勇気を奮起できるように取り計らったのだろうか。 というのは私の憶測である。 間違いなく、賛辞の大爆笑であった。 手放しに腹の底から笑えるなんて、とてもとても有り難いことである。 こういうのが好きそうだと、情報を回してくれるネットワークは大切なものである。 今年一番、笑ったかもしれない。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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