すっかり暦通りの休日とは程遠い私であるが、お休みを作って、友人の結婚式のため京都へ。
京都も結婚式も何年ぶりだろうか。 友人には興味があるけれど、京都にも結婚式にもさほど興味が無い今日この頃である。 今にも足を捻挫しそうな黒のヒールを紙袋に入れて、紺のワンピースに黒ストッキング、スニーカーという格好で新幹線に乗る。 いつもはしないゴールドラメのアイシャドウとシャネルの口紅、マスカラ、真珠のピアス、キラリとネックレス。 面倒だと発するくらいならすべてやめてしまえば良いのだが、久しぶりに自分をぬりぬりと盛り付けてみるのも悪くない。 しかしやはり、身軽ではなくとても身重感がある。 意味が違うが。 私は友人関係がほぼ一対一なので、結婚式などに稀にお呼ばれすると周りに知り合いが全然いないという状況になることが多い。 でも友人もそのタイプなので、ひとりで来ている女の子たちと席を囲んで楽しくおしゃべりした。 式は滞りなく執り行われ、私は1時間ほど電車に乗って大阪に向かった。 最近サウナづいているので、サウナのある宿に泊まりたいと検索したら女性専用のサウナカプセルホテルがヒットした。 もうこの3ヶ月くらいで20回ほどは行っているが、ひとりで行くのは今日が初めてかもしれない。 ひとりでうきうき行ってしまうくらい、サウナが好きになったのだ。 こんなに嬉しいことはそう簡単には起こらない。 汗をかけるようになりたい、というのが当初の目的ではあったのだが、それもそうと私はサウナに「ととのい」に行っている。 「ととのう」とは「サ道」(サウナ道)という言葉の発案者の言葉だと思うが、言わばサウナ的トリップのことである。 音楽や書道やマラソンや読経などで起こりうるトランスとは少し違って、外部から圧倒的な刺激を肉体に与えることで起こるものである。 思考はほぼ必要とせず、肉体の反応を感じるとるだけで良いから各々「道」たるものからすれば、その境地を知ることはかなり簡単な部類だ。 友人が、サウナ的トリップはシーソーのような自律神経が完全フラットになった時のことを言うのでは、と言っていたのには至極納得した。 例えば胎児だった頃、お母さんのお腹の中で酸素も栄養も勝手に流れてきて、何の心配もすることなく温かくてぷかぷか浮いているだけの状態はおそらくかなり自律神経フラットの状態に近いだろう。 まあお母さんの状態に左右されたりはするだろうけれど。 一度産み落とされたら、お母さんからの酸素と栄養は断たれ、自分で呼吸して自分で栄養を摂ることになる。 外気はお腹の中よりも乱高下するし、呼吸以外は一個体としての選択を無限かのように迫られる。 そんな中には当然ながら快不快があって、自律神経の揺れには経験を貯めて対応していくことができるようになっていく。 とても多様な要因で私たちの自律神経はぎっこんばったんとしていて、交感神経が働きすぎても副交感神経が働きすぎても、生きるのに大きな支障が出る。 仮にサウナで「ととのった」というあの状態のことを自律神経のフラット地点だとすると、あのえも言われぬ状態は至福と呼ばざるを得ない状態である。 「ととのう」ためなら多少の我慢さえしたくなる。 再び、何度でも、「ととのいたい」と願うことになる。 かつては全くの普通だった「ととのっている」状態が、生きている間に失われ続けているのだろう。 だから、「ととのっている」状態にあると、とても珍しい体験をしているようにも思える。 そして懐かしくもある。 さて、サウナで「ととのう」ことをそれまで知らなかった私なのだが、「ととのう」というのはめくるめく快感ということではない。 どちらかというと、無であり凪状態である。 耳を手で塞ぐと血の濁流音が聞こえるような感じがするが、あれが耳を塞がなくても起きているような感覚が全身に巡る。 楽しくもなければ悲しくもないし、喋りたくもないし、考えたくもない。 ただ、「あぁ」という感じだけ。 もちろん、風呂場でずっとそうしている訳にはいかないし、絶頂にととのっている状態は10分くらいなものなので、またサウナに戻ったり水風呂に浸かったり、風呂から上がって一服したりする。 いろんなサウナがあるが、今回行ったところは「ローリュ」というサービスがあった。 ロウリュとは、既に熱々のサウナ内にある焼け石にアロマ水をかけて蒸気を立たせ、ロウリュ係の人がタオルを振り回してその蒸発したばかりの高温ミストをサウナ室全体に行き渡らせてくれるサービスである。 たいてい、一人ひとりの目の前でバスタオルでバフっと風を起こしてくれもする。 初めて豊島園でロウリュを体験したとき、サハラ砂漠で顔が焼き切れると思った以上の熱気に耐えられずにサウナ室から退散してしまったことがあった。 今はそれなりのサウナの練習を積んできたので、この熱地獄を楽しむことができたばかりか、やっと私は念願のだくだくの汗をかくことができた。 顔から腕から首から、汗が流れながれるなど、初めての体験である。 やった、やっと、やってやった。 それにしても、95度とかいう部屋で蒸気を裸で浴びたり、その後すぐに10数度という水風呂に浸かったりしても、我々は死なないのも不思議だと思う。 それどころか体感としてこの行為は健康に良い感じがある。 せっかく大阪にいるわけだが、翌日の朝、チェックアウトぎりぎりの12時まで朝食もやめてまた風呂に向かう。 ロウリュありがとうと思いながらまた汗がかけた。 しかし、ロウリュがないと汗がまだうまくかけないのは修行不足か体質の限界か。 ちなみに、カプセルホテルは初めて泊まったのだが、とてもとても快適だった。 ひとりというのが良かったのかもしれない。 狭い布団だけの部屋というのも快眠できた。 ふたりにはふたりにしかできないことが、ひとりにはひとりにしかできない楽しみがある。 どっちも良いが、昨日においてはひとりで良かった。 暇なので、なんばから大阪駅まで歩く。 ととのい後の身体はじんわりとしてぼーっとしている。 途中、たこ焼きとスーパードライを。 これもひとりでやるとあまり楽しくないような気がしていたが落ち着いて楽しめた。 お母さんの臍の緒と関係なく私は歩いているわけで、大人になったなあなんて思った。 もう雑踏を歩き回る気がしないので、カフェでこれを書いている。
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|