ときどき、手紙の代筆のお仕事をいただくことがある。
「手紙は気持ち、どんな字だっていいじゃん」というのが一方の正論だったとしても、字で人を見られてしまうような気がするし実際に字がきれいだということで印象を良くすることもできる、というのももう一方の正論であろう。 一般的な字のきれいさを持っていることで、私も損をしたことは一度もない。 私は色んな書体を書くのでもはや何が最も自分らしい字なのかはよくわからない。 けれども自分の持っている一般的な字のきれいさは、私自身もお気に入りの字体であったりもする。 NHKの番組で「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」というドラマがあって、それは”代書屋”のお話だった。 代書屋は込み入った事情の手紙の文章までも考えて、何なら字体までもその人に成り代わって書くというものだった。 私の代筆のお仕事は文章はほとんどいただいて書くけれど、何となくその気持ちが字に滲んだりすることもあるだろうと思う。 文章の力も、字の力も、それそのものの記号を越えることができるだろうことは、音楽や絵、その他のものと同じことである。 ご依頼者は、いつもだいたい深夜帯にご依頼がきて、できれば明日投函してほしいというような特急の依頼であることも多い。 私も夜型なのでそれはまったく構わない。 暑中見舞いや年賀状など違って、何かお礼などを伝える手紙を書きたい気持ちなんて熱いうちでないと意味がないことも分かるので、なるべく早く仕上げてあげたいと私も思う。 もちろん酷く酔っぱらっているとか、次の日が寸分の時間も割けないのであれば仕方がないのだが。 一杯だけハイボールを飲んで帰ってきた昨日、深夜も深夜、私はご依頼の手紙を書いた。 拝啓、のあとの時候の挨拶が所謂ものではなくてとても好感の持てる手紙の始まりだった。 さてさて、年が暮れゆく。 人の年賀状のデザインばかり考えていて、自分の年賀状のデザインが一向に決まらない。
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|