私の読書難については何度も書いたことがあるが、私は読書が苦手である。
全く読めないというわけではないし、うっすらとなら人と本の話ができなくもないのだが、本当に本を読むという行為が下手なのである。 本は、嫌い、とも、好きではない、とも言いたくない、だって私は本好きになりたい、でも限りなく程遠い。 色々と試してきたが、もはや私は本好きの人生は諦めようと思っていた矢先、人からオーディブルを勧められた。 Amazonの聞く読書、オーディブル。 「読む」のではなく、「聞く」。 「聞く読書」とは言え、もはや「読書」という行為の範囲を超えているかもしれない。 2,3週間ほど前に30日間無料トライアルを始めて、平日はほとんど聞かない日はない。 と言っても、1日に聞く時間は平均して1時間もないくらいだと思う。 それでも、私にとって本という存在はいつもハードカバーよりも分厚い皮が被っているわけで、どういう形であれ”読み”進められるのは有難い。 手始めに、村上春樹「職業としての小説家」、続いてオーディブルを勧めた知人のおすすめ「営業の魔法」、続いて「サピエンス全史」を読んでいる(聞いている)。 皮切りに村上春樹のエッセイを選んだのは、彼のエッセイに私は結構信頼を持っているからだ。 「走ることについて語るときに僕の語ること」というエッセイは文字通り読んだことがあって、とても感心した記憶がある。 彼の小説も3,4冊くらいは読んだことがあるのだが、小説よりも読みやすい。 村上春樹に限らず、もとより、私は小説というものが苦手なのかもしれない。 エッセイにおける彼のものの見方や言い方は、過不足が無いように思える。 的確に物事を捉え、できるだけ誇張したり謙遜したりせずに、事実にちょっと格好つけておしゃれに伝えている、そんな感じがする。 オーディブル一番最初に聞く本は肝心だ。 もし最初に聞いた本が最後まで聞き通せなかったら、私はオーディブルという期待の星を深く知る前にいとも容易く手放してしまうことになるだろう。 期待通り、「職業としての小説家」を楽しく面白く、8、9時間かけて聞き通すことができた。 出だし好調!!と「サピエンス全史」の上巻も全部聞いた。 ところが。 そこから、もはや2週間ほど経つのだが、ぱったりと聞いていない。 イヤホンを持って出るのを忘れたり、何だか慌ただしくてそんな気分になれなかったり。 一度聞かなくなると、何だか手出しするのさえ億劫になってくる。 もう無料期間が過ぎてきっと課金されてしまっているだろうに。 オーディブルは聞くものなので、本を持つ必要もなく、何か作業をしながらということが可能だ。 しかし、片手間で聞いていて理解できるほど本の内容は容易いものではない。 大抵歩いているときに聞いているが、買い物も電車でさえも、意識が外界に持っていかれるとすぐに話が飛んでいっていまう。 調子よく聞いているときは止まらない一定の流れが有難いが、集中が途切れるとどんどんと濁流が目の前を通り過ぎていくだけになってしまう。 音声のみで漢字を見ていないので分からない単語も出てくるが、都度止めるのもリズムが狂う。 一方で、YouTubeなどでラジオ形式のものを聞くのは、私の至福の時間のひとつである。 面白そうな対談などを聞きながら、書の臨書をする。 創作は考えることも多いので、臨書が良い。 その対談の内容はまばらに頭に入ってくる程度だ。 この時間にオーディブルを聞こうとは思えない。 本には余白がないからだと思う。 まず、そもそも「聞かせる」ためにできていないからだと思う。 それでも、読まないよりも良いと思う。 私の本への取り組みは、その根が枯れかけているのに根深い。 「サピエンス全史」の下巻から再度始めようか。 <YouTube> ⇒【数字シリーズ③】江戸時代頃の数字あれこれ。「アレ」の聖地甲子園の語源-#051 ⇒【世界の数字】ローマ数字/ギリシャ数字/アラビア数字/インド数字【パイ株?/数字④】#052 ⇒アジア、アフリカの数字!【世界の数字⑤】-#053 <note> 【漢字創成の神話】蒼頡(推定紀元前2510年~紀元前2448年) 手書き年賀状の書き方【表面(宛名書き編)】
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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