10歳になる男の子の双子のお母さんと話をする機会があった。
私も双子です、と言って、しばし子どもとしての双子と親から見た双子談義をする。 私が驚いたのは、その方が双子の息子二人に、どちらが兄か弟か、という話を生まれて小学校くらいまでしていなかったということだ。 兄と弟という戸籍上の登録はあるものの、双子は同じ腹の時を過ごして産まれてきたのだからたった20分で差を付けたくない、という思いからとのことだった。 小学校では長男だの次男だのというところの話が出てきてしまうので、「一応君が先にお母さんのお腹から出てきたからお兄ちゃんということになって、後に出てきた君が弟ということになるんだよ。まあでも関係ないけどね」と説明したそうだ。 もっと興味深かったのは、その方も自然分娩で産んだらしいのだけれど、まだどちらが兄や弟と説明する前、喋らぬ赤ちゃんのときでさえ、二人には顕著な違いがあって「お兄ちゃんらしい」「弟らしい」ということが行動に表れていた、というくだりだった。 その方曰く、出産時に産道を通り抜けてくるときにやはり最初に出る兄の方が産道を切り開かねばならない苦労が伴うので、何事にも真摯で一生懸命なのだと言う。 片や、弟は兄が緩めてくれた産道を悠々通り抜けてきたので要領が良いらしい。 寝返りなんて、兄が頑張ってがんばって泣いていたのを、弟はぼんやり指をしゃぶって隣で見ていて、ある日突然練習なしにコロンと寝返りを打って見せたのだと言う。 では双子でなくても自然分娩で一人で産まれてくるときは皆産道を切り開いてくるのだから、双子でない場合は全員努力家なのかとか、双子の弟妹が全員要領が良いのかとか、帝王切開で生まれる場合はどうなのかとか、色々あるけれど、双子自然分娩においての傾向の差というのはなかなか興味深いものである。 私たちの場合は、物心つく前から「お姉ちゃんなんだから」と浴びせられ、「どっちが妹?」などという質問攻めに遭ってきたので、所謂ところの姉妹の性格形成は当たり前のようにされた。 もっとも私の場合は、上に兄が二人もいるので私は完全なお姉ちゃん体質でも全然ないけれど。 他にもそんな事例があるのかと細かく聞きたかったけれど、大勢の酒の場であり、その話を聴いているのは私だけではなかったので遠慮した。 他にも色々とそういう傾向はありましたよ、とは言っていた。 あと、東大付属中学には「双子枠」が存在していて、双子調査のため優先的に双子を入学させているらしい。 同じ環境で同じテストに晒されはするものの、逆に周りに双子が多いことで奇異の目を向けられることも少なく、双子に対する理解が深いという面もあるのだと言う。 ちなみに奇異の目というのは、私で言えば、嫌だったし一方で嫌ではなかったような節もあった。 皆とは違う特別感のようなものがあったのかもしれないし、注目されるのが嬉しかったのかもしれない。 双子の母親であるその方は、やはり「褒める」ということに悩ましさを感じているようで、全く同じ日に同じテストで点差が付くと片方がとてつもなく落ち込むんです、と言っていた。 兄であれ、弟であれ、これは年子の兄弟とは比べ物にならないほどの屈辱が生じうると言って良いだろう。 もちろん私にもそんな経験があって、私の幼少期があまり良いものでなかった原因の一つは自分が双子だったことも一因であると思う。 けいこも私たちを比べこそしなかったけれど、どんなに成績が良くても何かの賞を獲っても、褒めたことはただの一度もないのだ。 うまく褒めてあげてくださいね、本人たちが望むなら、いや強く望んでいなかったとしても、なるべく全然違う道や場所に行かせた方が後々のためだと思います、当たり前ですけれど個別の人間なので、と私も簡単に経験を話した。 東大付属中学の話で言えば、まだ人格も曖昧で揺らぎの多い時期に双子研究のための実験台にされるなんて、という思いもあるけれど、今でこそそういった実験には自分がその実験結果に興味があるので身を差し出しても良いとも思う。 まあ大人になってからでは特に意味もないのだろうけれど。 これは双子あるあるだと思うけれど、私も双子に産まれたかったとか、将来双子の子どもが欲しいなどとしばしば言われることがある。 当人も親も、双子でない場合よりも大変なことは多い。 もちろん双子ならではの楽しさなどもあるし、しかしそれが双子でない場合の2倍かと言えば、そんなことは絶対にないので、安易にそれを口にされると私はつい反抗してしまいそうになる。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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