早いもので、おじいちゃんとおばあちゃんが死んで、もう四十九日の法要が行われた。
5日差で死んだから法要は一緒に行える。 親族皆にとって、行事がひとまとめになっているのは大変助かるし、おじいちゃんとおばあちゃんは一緒にいられるような気持ちにもなれるので良かったのだと思う。 ただし、やはり、5日差で死んだことを良かったと思っているのは、他ならぬ私や他の生きている人間であるということも忘れてはならない。 既に誰も住んでいない私の生まれ育った家は、1階の仏間と台所と応接間以外はいよいよ廃墟と化してきている。 2階の子ども部屋と父の部屋はもう10年ほどほとんど誰も足を踏み入れてないのではなかろうか。 私は、自分の部屋の引き出しにある中学校3年のときの競書会で書いた、初めて金賞を獲った硬筆の作品をいつか取り戻したいと数年間思ってきた。 実家に戻るたびにそのことを忘れるか、2階に足を踏み入れる勇気が生まれなかった。 この家の行く末を相続人である私たちきょうだいや叔母と話さなければいけない時期ももう近くに来ているから、ならばと恐る恐る私は2階に上った。 私が行くからと言って姪たちに見つからないようにそうっと。 泥棒が入って物をひっくり返したのかと思うほど各部屋が恐ろしく散らかっていた。 見覚えのないハンガーラックや段ボールに入った父の本の山、勉強机に置かれた古い服など。 埃がさんさんと積もっていて埃臭く、まるでビデオの一時停止ボタンを押しっぱなしにしたような情景が現在の私の目にぼうっと映った。 私はねずみなどの動物がいないかを恐れていたが、あのような食べ物も水もない廃墟には動物も住めまい。 一番奥の自分の部屋に行き、引き出しを開ける。 引き出しの中は日焼けしていない二の腕の裏側みたいにすべすべと白かった。 目当てのものは2段目の引き出しの一番上にあった。 懐かしい。 そして今はもっと上手く書けるけれど、私の字だ。 書について特別に優れた生徒だったわけでは全くないけれど、初めて金賞を獲ったこのときの気持ちはよく覚えている。 相変わらずものすごくうるさい姪や甥は元気に走り回っていた。 かわいい子どもたちの顔を見るのはとても嬉しいのだけれど、絶え間なく本当にうるさいので、一泊しようと思っていたところをその日の夜最終のひかりで私は東京に豪速で戻ってきた。 帰ってきて久しぶりに床の拭き掃除をする。 毎日クイックルワイパーで掃除してはいたけれど、やはり床は拭き掃除に限る。 黒くなった雑巾でさらに窓の桟まで拭いて捨てて満足。
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|