そしてまた色んなものを捨てている。
ピアスとかピアスケースとか。 ベロアの深紅や錆びたゴールド、煤けたパール、イメージとしてはイギリスの古くてこぎれいな家の香りがするようなものに心惹かれていた時期があった。 花で言うと薔薇や芍薬を好んで愛でていた。 ここ4年より前、5年間くらい。 ちょうど会社を辞めて独立したあたりから、なぜだかそれらにあまり興味がなくなった。 当時陽当たりのほとんどない穴倉のような2階の部屋に住んでいたからだろうか。 薄暗くて雰囲気の良いバーのようなインテリアにしたいと部屋作りをしていた。 ファッション性もそれに傾倒していったような感じがある。 となると私は、住むところによって、家具だけでなく服装にまで影響されていることになる。 今これを書いていて改めて思ったが、思い返してみるとかなりそうなのかもしれない。 その後現在にかけて、インテリアとしてはもっぱら流行りの北欧風が好きである。 シンプルな木の雰囲気と、彩度はきつくはないが挿し色として十分な緑や黄色や水色を取り入れることとなった。 ファッションへの興味は減退し、ピアスは邪魔だという理由から付けることがほとんどなくなった。 花も以前よりは興味が薄れたが、花びらの重なりが厚いものよりガーベラやデイジー、ノースポールのような平たい花の方が好きになった。 今の部屋は西日の陽当たりが抜群で、とても明るい。 1Kなので、暗い部屋、というのもない。 しかしいまいち、居心地が上手い具合に作れていない。 ここからのテーマは、合理性と居心地のせめぎ合い、になるような気がする。 それに際し、居心地や着心地の良くないもの、でもちょっとおしゃれで好きだったものにはさよならしていくこととなった。 がらくたみたいなピアスを30個くらい、じゃらじゃらと捨てた。 再びカートローゼンウィンケルのライブへ。 東京駅近くのコットンクラブというライブハウスは、ミッドタウンのビルボードや表参道のブルーノートのようなところで、それよりも空間的にゆったりしており、シックなラグジュアリー感がある。 これらのライブハウスは高いので時々しか行かないけれど、去年は何だか3回ほど行った。 いつも、このようなラグジュアリーさに対する自分のスノッブ感をどのように扱ったら良いのか分からずにいたけれど、少しずつ慣れてきた。 それは私がラグジュアリーに格上げされたということではなく、私がただそのような空間に対して怖気づくことなくそのままでいても良いのだということに慣れてきたのだと思う。 丸の内を歩くスーツの男性たちには威厳があった。 身体を太い棒のように包み込む仕立ての良さそうな黒のコートに、ものすごくきちんと巻かれたマフラー、磨かれた革靴が立てる速足の音。 何かを一括りに見ることが良いとは思わないけれど、東京の街は、街ごとにいる人々の様相が全然違って面白い。 カートの鳴らす和音にカートらしさを存分に思いながら、インプロビゼーションの世界の抽象性に進んでいくとき、その道のりが1mくらいの雪が積もった道を自力で進んでいくようなものなのだろうなあと思った。 ディズニーランドのホーンテッドマンションとかであの演奏が流れていたら、わくわくとどきどきが止まらないだろうなとも思った。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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