息子との長い秋休みを終えて、保育園に送り出す。
昨夜、息子には明日から保育園だという旨の説明をし忘れていたので、息子は朝から「きんこん、いく」と暴れて、酷くご機嫌ななめだった。 きんこん、というのは電車の扉の閉まる合図の音である。 旅の備忘録を書いておこう。 9月30日、夕方頃実家に到着し、ほど近くに住んでいる兄の家にけいこと一緒に出向く。 そこには小学三年生と保育園の年長さんの甥がいる。 誇張ではなく山ほどトミカがあって、もう遊ばなくなってしまったのでそれを息子に暮れるらしい。 兄宅に着くなり、息子はトミカに目を輝かせて遊び始めた。 「目が輝く」という言い回しは子どもに対してよく使われる。 好きなものを目の前にして子どもの「目が輝く」という姿を、私たちは確かに度々目にすると思うのだが、実際に目から光線が放たれるわけでもなく、目に多くの光が集まるでもなく、一体何が起こっているのだろう。 通常よりも目を開いているということだろうか。 もちろん表情全体の現象だとは思うが、たとえ子どもがマスクをしていたとしても、「目が輝く」状態とは確認できるものなのではと思う。 甥は、久しぶりに会ういとこにやや恥ずかしがりながら、トミカの説明をしてくれた。 ゆくゆくは全部くれるらしいが、とりあえず小出しにいくつか持って行って良いと言われたので、息子がつかんで離さなかったバスなどをいただくことにした。 すでに夕刻、日暮れも迫っていたのだが、兄はどうしても連れて行きたい場所がある、と皆を車に乗せて、少し離れた公園まで走らせた。 今回、兄は自分の甥が来ることを、仕事を早く終わられて飛んで帰ってくるほどに楽しみにしていたらしい。 私はそれが大層意外だったのだが、兄は自分の子どもが産まれてからというものの、結構子煩悩に子育てをしている。 自分の息子たちがある程度大きくなったので、2歳くらいのまだ赤ちゃん感の残った甥を見て懐かしさや愛おしさの懐古の情を抑えきれなくなったのかもしれない。 そういえば、いもうとの旦那さんも、夫の妹の旦那さんも、自分らの子どもが大きくなったからか、2歳の息子を見ると皆一様に目を細めて抱っこしようとする。 息子は簡単に慣れない人に抱かせたりしないので、それをとても嫌がるのだが。 兄が連れてきたのは、山間にある、長い滑り台のある公園だった。 私は久しぶりに山に囲まれて、「やま、やま、あれはやまだよ」と興奮して息子に教えた。 時々、山を見るのは良いものだ。 滑り台には小学生の高学年らしき男の子たちがいて、ボブスレーのような猛スピードで滑っていた。 カーブでは身体が浮くほどのスピードで、最後は滑り台から吐き出されるように、ボンっと身体ごと飛び出してきた。 「いてーいてー」などと言いながら滑っているのを見て、私は身の毛がよだった。 息子は最近、滑り台が大好きである。 よいしょよいしょとアスレチックのようになった坂をよじ登って、滑り台の入り口を目指した。 息子ひとりで滑らせることはできないので、私も一緒に滑ることになる。 いざ、息子を抱えて滑ってみたのだが、全然滑らない。 手の力で一生懸命漕がないと進まない。 私は少しホッとしたけれど、さすがに滑らない滑り台は面白みに欠ける。 どうやら前日の雨で湿気ていて滑りが悪いらしい。 小学生たちがなぜあんなに滑っているのかは本当に分からなかったが、おそらくは学校のズボンの化繊のジャージ素材が滑りやすいようだ。 息子は楽しかったらしく、3,4回滑ったところで、辺りは大分暗くなってきた。 ほんの15分ほどだったと思うが、楽しませてくれた兄にお礼を言って、けいこの家に戻った。 その後、夜ご飯を食べて、お風呂に入って、寝た。 私はとても疲れていたが、あまり眠ることが出来なかった。 布団が固いなあと思いながら、今日の無事に胸をなでおろした。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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