保育園のグループLINEによる通信が始まって、その日の様子の報告と園児たちの写真が毎日1枚送られてくる。
写真は一応、正面の顔を映らないようにしているらしく、後ろ姿や上から撮影したもの。 この写真を通して、私は初めて息子の園での様子を垣間見た。 公園でお友達とハイハイしているところと、山ブドウの実をつぶしてジップロックに入れて触っているところ。 かの有名な卒乳の漫画を読んだときもそうだったが、今回も身体が自ずとまるごとに反応して涙が出そうになった。 お友達とハイハイしているだけ、山ブドウの実をつぶして触っているだけ、の写真でである。 お迎えに行くといつも明るい良い顔をしているので、私はとても安心して保育園を利用させていただいているのだが、実際に息子がどんな様子なのかはうまく想像ができなかった。 しかし息子は、私の見ていないところで、しっかりと楽しんでいる。 こんなことで胸がぎゅうっとなって涙が出そうになる。 ほんの少し母から手離れする寂しさも入り混じりながら、私全身からこみ上げてくるこの寂しさ以外の大部分の感情をどうしても言葉にすることができない。 切ないでも、嬉しいでも、可愛いでも、喜ばしいでも、もちろん悲しいでもない。 どちらかといえばプラスの感情だけれど、諸手を上げてハッピーという感じでもない。 心の大事な部分を程よい力で圧されているような。 第一次社会生活に進出した息子を、母は言い表せない感情で見守っている。 まだまだ夜中はち乳飲み子なのだけれど。 可愛い子には旅をさせよ、というが、まさにそんな感じである。 保育園に行かせて本当に良かったなあと思う。 そう思わせてくれて保育士さんたちには心の中で拍手喝采、スタンディングオベーションを捧げたい。 明日明後日あたりからこのあたりのパン屋さんが長いお盆休みに入る。 朝の食パンが買えないのはとても嫌なので、1.5斤を買ってきた。 しかし最近息子が千切った食パンを食べるので減りが早い。 息子が保育園に行って、夫は自宅でテレワーク、私も家事と仕事をする。 家族を営んでいる、そんな心持ちがする。 家族が一番大事、と広く一般で当然の当然とされていることだが、私は真っ向からそう思えずにいた。 自分の家族が嫌いというわけではなくて、しかし、家族を一番、あるいはそれが当然であり正義、でなくても良いではないか、と思ってきた、今も思っている。 たまたま一緒にいて、たまたま子どもが生まれて、それが「家族」という呼び名なだけである。 しかし、明日も明後日も明々後日も息子や夫に会いたいわけで、息子と夫と私は制度上「家族」という集団なので、では「家族が好き」と言っても良いか、と思う。 「家族」も「友達」も、通念上の価値観ではなく、それぞれに能動的に良くしていく姿勢が必要なのではないか。 それについては、自戒もあるけれど。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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