うさこちゃんの絵本を手に入れた。
うさこちゃん、というのはミッフィーのこと。 キャラクターものは全般的にそんなに興味のない私だが、なんとなく昔からミッフィーは好きだった。 特段ミッフィーの何かを所有しているということも無かったが、数年前にはミッフィーの手帳を買ったことがある。 手帳を使う習慣が付かなくてすぐに捨ててしまったけれど。 ちなみに今は大きめのミッフィーのぬいぐるみが家にいる。 今回、「1歳からのうさこちゃんの絵本」というのを読んで、色々と分かったことがある。 まずは、「うさこちゃん」というのは福音館から出版されている絵本の訳名であり、「ミッフィー」というのは講談社から出版されている絵本の訳名ということだ。 後者は英語圏の訳名をそのまま輸入したらしい。 日本ではミッフィーという名前の方が有名になっている感じがあるが、絵本では福音館からの出版数の方が圧倒的に多い。 弁当箱からアート作品までキャラクターグッズも数多あって、それはほとんど「ミッフィー」という名で売られているのだが、絵本としての出版は「うさこちゃん」を名乗る福音館の方が圧倒的に多いらしい。 ちなみに原作ディック・ブルーナさんはオランダ人であり、オランダ語のミッフィーは「ナインチェ・プラウス」。 ナインチェ=うさぎさん、プラウス=ふわふわという意味とのこと。 福音館の方のいしいももこさんという訳者はなるべく原作に近い訳をそのまま充てたかったのだろう。 今さらながらブルーナさんの世界、うさこちゃん物語はとてつもなく味わいのある絵本である。 無駄がないというのか、潔いというのか、物語が足りていないというのか、そういった欠落感を持ちつつ、そのことがかえって絵との調和を醸成して絵本の良さを増しているのである。 ブルーナさんの絵は特徴的な太い黒の輪郭や強い原色使いや一切の余分なき構図で、絵単体でも完成物であるけれど、やはり、分厚い装丁や朴訥とした言い回しや簡潔で独特な物語を以てしての絵本作品なのだろう。 全てのマリアージュがブルーナさんのやりたかったことなのだろう。 そして、いしいももこさんの訳はきっと素晴らしいのだろう。 うさこちゃんの本名は、ふわふわうさこ。 うさこちゃんのおとうさんは、ふわふわさん。 うさこちゃんのおかあさんは、ふわおくさん。 このことだけでも十分に面白いし、可愛らしい。 一冊いっさつの物語も、一頁いちぺーじの絵も、大人が読めば何だか突っ込みたくなるようなことばかりなのだけれど、その絶妙さがたまらない。 絵や言葉そのものに言いたいことがあるというよりかは、その全体で醸す何か、というものがブルーナさんそのもので、きっとそれが他人である読者に伝わるべき点なのではないだろうか。 絵や言葉の融合地点から発せられる言葉にならない何か。 真似をしようと思って真似ができることではない。 おこがましいことを言うが、私はブルーナさんのような作家になりたいのかもしれない。 思慮深く、潔く、無駄がなく、技術があって衒いのない、あるいは見せない、そんな表現物を作れるような。 表現物全体で人柄がにじみ出るにも関わらず、それでいて言語化できる主張めいたことはなく、その表現物そのものが価値を持って独り歩きできるような、そんな表現物を作れるような。 絵本はいいお値段なのだが、これから少しずつ蔵書として増やしていこうと思う。 かえるくんが読むときはぜひきれいに扱ってもらいたい。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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