空がきれいな夜。
濃紺の空に白熱灯の点みたいな星が光っていて、その上をほぐした綿のような綿雲が通り過ぎていく。 星座の名前はさっぱりで、見つけられるオリオン座だけが見え隠れ。 煙草の煙も、自分が吐く息も、雲よりもずっと儚くて、移ろうどころかすぐに霧消してしまう。 昔、実家のベランダからよく星を眺めていたことや、10年くらい前に行ったサハラ砂漠の圧巻の星空に落ちたいと思ったことを思い出す。 もともとファンタジックな方では全然ないけれど、そういえばとても軽やかな意味で空が好きだったり星が好きだったりすることを、最近特に意図的に封をしていたような気がする。 私の頭の中には、そこかしこで見た空の映像がいくつか保存されている。 雲ひとつない、青に近い色をした強い空。場所はヴェルサイユ宮殿だったろうか。 6月頃の湿った早朝、淡い緑色の街灯の後ろで明け始めたオレンジ色の空。飯田橋の交差点。 小石川植物園でひとり、青々とした紅葉をiPhoneのカメラを向けて見た5月の水色の空。 ある幼き日の元日、嫌々初日の出を見るべく山登りをして見たグラデーションに感動した夜明けの空。 初めてのフジロックで、もう会話もできないくらいに疲れ果てて眠たくて、でもふと一瞥したしんとした山の夜空。 夏休みに、蛙の声に怯えながら流れ星を待って望遠鏡を覗いたおばあちゃんの家の畑の上の空。 そして、サハラ砂漠の、地球の半球を身体に感じながら見た、プラネタリウムの何億倍もの広がりのある星だらけの夜空。 こう思い返してみると、映像だけが切り出されて保存されているということなどひとつもなくて、その状況や心情がセットになって記憶されているものだ。 「今までに食べた一番美味しかった食べ物は何?」という質問をされたことがあるけれど、それは、そのときの時間的前後と空間をひっくるめたそれ、でしかなくて、改めて同じ興奮や幸せを呼び起こそうと思ってもそんなのはもう全然不可能なのである。 長らく空を見上げる部屋に住んでなかったけれど、今の部屋からは空が眺められる。 物思いには都合の良い雲と風がそこにあって、いつの間にか煙草はフィルター近くまで燃えていた。 身体を冷やして、でもセンチメンタルな気分で部屋に入ると、なぜかプラスチックの墨池に入っている朱墨が置いてあった棚ににゅわーとこぼれ出している。 墨を入れっぱなしにするから腐敗したのだろうか。 朱墨は普通の黒い墨汁よりも色が取れづらい。 敷金に関わるところでこぼれなくて良かった。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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