土日が過ぎると、部屋が大荒れである。
エントロピーは増大するばかり。 大量のミニカー、大量のプラレール、私が作った山手線の駅札、ひらがなカルタ、その他諸々もろもろ。 息子はそれらを散々とっ散らかして、さらに、最近購入したピアノの内蔵音楽を流し、さらに、Youtubeを同時に見たりする。 物理的な足の踏み場がないどころか、音までが酷く散らかって、もうどうしようもない。 もちろん動きづらいのだが、息子はおもちゃを踏まないように器用にちょこまかと動く。 そんな大荒れの部屋の中で、年賀状の宛名書きをする。 今年は裏面は一枚書いたものをプリント会社に依頼してみた。 一枚63円のはがき代に、一枚50円のカラープリント代、そして基本料1980円。 とっても高かった。 まあでも、家でがこがこ印刷するのも大変だし、それこそプリンターのインク代もばかにならないので良しとしよう。 まだ20日にもならないというのに大方書きあげたなんてとてもとても快挙ではないか。 月曜日、息子を保育園に送り出し、買い出しを済ませ、部屋の掃除に取り掛かる。 とりあえずおもちゃをざっくり種類別に箱やかごの中に放り込んで、しかるべき場所に戻す。 もう遊んでいない何かのおまけのおもちゃなどは、こういうタイミングでこっそり捨てることにしている。 今のところ、あれがないと息子に叱られたことは一度もない。 掃除機をかけて、床を拭く。 静寂、空気が澄んだ。 ところで、先日大学の先生とお茶をした。 私は先生の教え子ではあるのだが、極めて不真面目な学生だった(授業出席はするし単位も全部取るが、学問に興味のない根本的にだめな学生だった)ので、先生のことを先生というよりかは友人のように思っている節がある。 というのも、先生は句会仲間でもあるので、俳号である下のお名前でお呼びしているということもある。 まあ先生は私を友人とは思っていないと思うが。 先生はちょうど私の親世代である、68歳。 私は36,7歳になってようやく自分の中の子ども目線が抜けてきて、親世代になったことをとても感じている。 私たちの祖父母の世代は90を超え、ほとんど皆死んでしまった。 かつての祖父母の位置に親が来て、かつての親の位置に自分たちが来た。 かつての自分たちの位置には新しい子どもが来た。 30~40年を生きて、確実に世代というものが大きく入れ替わった。 このことは、父が早くに亡くなったとか、自分に子どもが産まれたという個人的な事情ではない、皆に平等なとてつもなく大きくて揺るぎない変化なのである。 私たちは自分の経験を生きているようで、やっぱりもっと大きな波に飲み込まれたまま受動的に生かされているようにも思う。 先生の言葉の中で、「70歳で退職したら読書三昧と思っていたが、最近は目が疲れてどうもそれも上手くいかないかもしれない、それは思いもよらないことだった」というのが印象的だった。 退職したら時間ができて思う存分好きなことができる、というのが叶わない事情が出てくる場合がある。 人間は確実に老いていくのであるが、60歳の体感と70歳の体感は大きく違うのだろう。 それに、40歳くらいの私が感じる「人生進んできたなあ」というのと、70歳くらいの先生が感じる「人生進んできたなあ」は、全く別物と言って良いだろう。 私たちの親世代は、60歳70歳の現時点で、「自分の親のように90過ぎまで生きられる気がしない」としばしば言う。 祖父母世代は戦争を生き抜いてきた強靭な人たちであるとは言えると思うが、平和が飽和したような時代を生きた親世代は、なぜこのような意識を持つのだろうか。 電子レンジのタイマーに思い知らされる時間だけでなく、今だっていつだってそうこうしているうちに、時間は流れ過ぎていく。 だからなんだ、というわけではないのだが、壮年期の私はそんな風に物思いをするのである。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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