せっせせっせとごはんを炊く。
3合炊きで2回。 1食分を残してせっせせっせとラップに包み、冷凍する。 ひと月以上ぶりに炊飯器を出した気がする。 お米はとても好きなのだけれど、1日2回の食事のブレックファストはだいたい食パンであることが多いし、この時期ともなると夜は素麺を茹でることも増えてくる。 お酒を飲むのであればあまり主食的な炭水化物を食べないことも多いので、最近はお米の出番がめっきりなくなっていた。 外食でも最近は麺が多かった。 それに炊飯器は使わないとき棚の中にしまってしまうので、なかなかお米を炊くに至れない。 家にある玄米は給水時間を含めると半日かかってしまうし、お腹が空いた!というときに炊飯などできない。 だから炊飯器を登場させるときには、そのタイミングで食べなくたって2回動かして貯金ならぬ貯飯する。 バナナを切らしても、パンを切らしても、解凍すれば食べられるごはんがあることの安心感たるや。 厚揚げを焼いたものに生姜をすって醤油をかけて、納豆をかきまぜ、それと結婚式の引き出物に入っていた伊勢海老のお味噌汁に湯を注ぐ。 炊きたてのごはんを本当に久しぶりに食べた気がする。 「!!!」となって、「ごはんっておいしいね」と隣りに誰かいたら、ホットケーキを頬張ったときのような満面の笑みで言っていただろう。 ライスは娯楽、と友人が言っていたが、その意味が分かった気がした。 娯楽は日々在り過ぎたら娯楽でなくなってしまう。 時折ある余暇的楽しみ。 ごはんには、パンにも麺にもない、ずっしりとした重たいパンチ力と全方位的な幸福感がある。 パンも麺も空気と一緒に食べるものだが、ごはんはあまり空気と一緒に食べるものではない。 その分だけ糖質が舌にあたる面積が大きくて脳的な刺激も大きいのかしら、と思ってみたりする。 何はともあれ私も満ちたし、冷凍庫も満ちた。 勧められていた「NHKスペシャル神の数式」をやっと観ることができた。 私のような浅学というか、その方向には無学と言ってもいい人にもとても分かりやすく構成されていて、且つ展開がドラマチックでとても面白かった。 番組制作力と言うのももう多分にあると思うが、研究者の歩んできた道をただ書くだけで十分にこのような壮大なドラマに仕上がっただろうと思う。 数学者や物理学者は脳的に異なる人種の人だと長らく思っていたが、最近は全然そんなことはないと思っている。 それは自分の経験からもそうだし、飲茶さんの本で「哲学的な何か、あと数学とか」を読んだことも大きい。 私が数学や物理をできるとは思わないし、何か特別な一つのことに偉大な彼らのように全身全霊を注ぐことも無理なのだが、何か未知のことに興味のまま走ったり、今あるものに常に疑問を抱いたりする姿勢については少し分かるような気がする。 方向性と度合いが違うだけだ。 と言いたい。 最後の回で、これまでの話で研究者たちが突き詰めても突き詰めてもぶち当たっていた数式の矛盾に、「496」という完全数を以てして糸口をつかむシーンは何だか鳥肌が立つ思いだった。 私はこれらの学問的なことを超表面的にぺらっぺらにしか理解していないが、このときの壮大な発見や彼らの興奮は私にも伝わるものがあった。 何せそれが分かると、宇宙の成り立ち全部が分かるかもしれないと言うのだから。 一人の人生の歩みとしても、物理学の歩みとしても、行きが止まるようなドキドキがある。 私が言うと、ただの感想なのにも関わらず、ぺらっぺら過ぎて嫌気がさすけれども。 今日はそう言えば、父の命日である。 たぶん来年が13回忌なのではないか。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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