12,13日と立川での展示会を終えてなんとも疲労困憊である。
事務局の代表という立場ではありえないくらい、のほほんとやらせてもらった気もするが、それでもそれなりに代表の仕事というのがあって気を張っていた。 もちろん展示会自体というか、私の作品の方向性の課題も浮き彫りになったわけで、それもこれから暗中模索をすることになる。 自ら望んで書道家、アーティストなんてものを自称しているのだが、それはたいそう面倒なことなのである。 好きだから書いている、やりたいからやっている、というマジックワードを使わずに、なぜ私は自分の言葉を筆と墨で書いているのか、何を表現したいのか、それは社会的・歴史的にどういう意味を持つのか、そんなことを明文化していく必要がある。 また、仮に美術界に書道を乗せるとするならば、新しい手法の発見が責務である。 今一緒にやっている団体は、あくまで美術界に書道を乗せる、ということが大目的なので、そこもやらねばならない。 心の中からわーっと出てきたものを表現すること、それはもう言わば古い。 たとえ自分だけの言葉を紡いで書にして満足だけなら、そこに出す必要もない。 今の私の書活動に亀裂が入りそうな自問をしなければならなくなった。 正直、自分というものの面倒くささは嫌というほどわかっているつもりなので苦しいのだけれど、やるかやらないか、と言われると勿体ない精神で「やる」と言ってしまう性分なので、きっと再度自分を棚卸することになるだろうと思う。 さてこの週末、私はほとんど朝から晩まで家を空けていた。 息子はむちゃくちゃな盛りなので、夫も面倒は見てくれるが大変なので、けいこと姪を召喚した。 私は前日に姪が食べられる甘口のカレーライスを10皿分煮込んでおいた。 予想より状況は酷く、息子は私の存在を求めて、何かにつけて不機嫌極まりなかったようである。 1日目は私が帰宅すると、姪でも手を付けられずひっくり返って泣いていた。 2日目はけいこや姪と公園に行って滑り台など大いに楽しんだようだが、私が帰宅するころには怒り泣きをしていた。 そんなにストレスがかかるのか、と申し訳なくも思うのだが、致し方ない。 思い通りにいかない日もそりゃああるものである。 小学2年の姪は、本当によく面倒を見てくれる。 子どもは子どもを許しているので、一緒にいると息子も楽しそうにしてくれる。 姪はよく食べるのだが、私の作ったカレーライスを「おいしかったーーーー」と言ってかなりの量を食べたらしいので、私はそれが嬉しかった。 それと、丸二日間、お母さんを求め続けられて悲しかっただろうお父さんの夫にも感謝である。 世のお父さんは皆そんなものなのかもしれないが、やっぱり悲しいよねとは思う。 私は息子を撫でまわしながら抱きしめ、でもたぶんまたこのようなことがあったら私は出かけるのだろうから、何も言わずにただ撫でまわしながら抱きしめた。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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