最近になって、キュウリに塩を振って水気をぎゅっと搾るということの意味がようやく分かってきた。
板摺りなんて手法もあるが、これはやったことはないが、今ならその作業の意味が感じられることだろう。 これまで、キュウリにはあまり栄養が無いらしいの食べなくてもいいとさえ思ってきた。 キュウリに塩を振って待って少しずつ力いっぱい水気を搾る手間暇なんて、何なら積極的に損するくらいだというふうに思っていた。 また、私は食材にべたべたと触ることが好きではない。 生肉はだいたい素手では触れないし、ひき肉もこねない。 野菜などは必要最低限に切るだけで、飾り切りなどで手の熱を移すこともない。 食材の多くは水分の塊のようなものなので、あまり触っていると手が荒れてしまうというのもある。 塩など振ったものを搾るなんて、キュウリの水分と一緒に私の皮膚からも水分が抜けてしまうではないか。 それに、キュウリはせっかく水分を満ち満ちと蓄えているのに、どうしてそこから瑞々しさを奪ってしまうのかが理解できない。 キュウリの水分がもったいないではないか。 畑から採ったキュウリを氷水に浸けて、そのまま塩か味噌をつけて食べる、これが最も美味しい食べ方なのではないのか。 もうひとつ、「ちびまる子ちゃん」で、給食の塩もみキュウリが不味くて食べられず、こっそり見つからないように給食袋に入れて帰って、給食袋をビタビタにして怒られるというエピソードが印象に残っていることもある。 というわけでキュウリを買うことがあまり無かったのだが、中華料理屋や居酒屋で出てくる夏のキュウリはやはり旨いと思うようになった。 キュウリ独特の青臭さや瑞々しさやパリッとした食感は、清々しくて潔い。 そしてなんとなく、今年はキュウリを買う頻度が増えた。 スティック状に切って味噌をつけて食べるだけでやっぱり美味しい。 しかし何にせよ選択肢やバリエーションがあることは豊かなことだと思っているので、毎回切りっぱなしの味噌乗せでは芸がない。 そこで、塩昆布やらゴマやら生姜やら醤油やらにんにくやら唐辛子やら豆板醤やらナンプラーやらレモンやら砂糖やらごま油やらを適宜混ぜ合わせたドレッシングに数時間浸けてみることも何度か試してみた。 不味くはないけれど水っぽくて味がぼけてしまうのが気になった。 軽くインターネットできゅうりの漬物の作り方を調べると、やはり最初の塩もみが肝要と書いてある。 仕方がないので、キュウリに塩を振って数分おいて水気を搾ってみる。 最初の頃は面倒くさくて軟な搾り方しかしていなかったが、それでも漬け物にすると味の浸透が変わってパキッと締まった。 これがキュウリ料理の肝だったかと合点がいって、それからは少しずつぎゅうぎゅうに絞ってついでにキッチンペーパーで水気を取ってみたりをした。 キュウリの水分が滴り落ちてしんなりしていくのを、やはりなんだか申し訳ないことをしているような気分で行うのだが、やっぱり出来上がりが美味しいということにはかなわない。 ドレッシングの出来栄えにもよるのでまだどんぴしゃりというものが出来ないが、キュウリの漬物は奥深いものだ、と思う。 そして、それなりに丁寧な手間をかけると美味しくなる、ということは料理においては正解であることが多い。 「手ごねハンバーグ」に惹かれてしまうのも仕方ない。 料理でなくても、「手びねりのぐい飲み」なんかも魅力的である。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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