シンガポールより友来る。
私が中学生だったか、高校生だったかの頃。 父親から、マレーシアから交換留学生の女の子がホームステイしに来ると突然言われた。 確か、父親が所属していたライオンズクラブとかいう集まりの関係だったと記憶している。 こんな家に泊まって大丈夫なのだろうか、と思った。 幼い頃済んでいた実家は広さはあったものの古さが際立ち、風呂もトイレも台所も、何だか薄暗くて汚かった。 私は今でも、実家の台所には立ち入りたくないし、トイレを使うこともなるべく避けているほどである。 はるばる、初めて日本にやってきたところが、薄汚い場所で良いのだろうか。 瞬時にそれを思ったことだけをよく覚えていて、実際に彼女が家でどう過ごしていたかをあまり覚えていない。 下の兄が張り切ってお世話をしていたような気がする。 マレーシアはマレー語、中国語、英語の3か国語を話す人が多いらしい。 彼女もそうで、こちらのカタコト過ぎる英語でお話をしていたと思う。 また、聡明な彼女のカタコト日本語と、漢字も使っていた気がする。 そういえば、一緒に小学校の卒業アルバムを見ていて、「She is cute!!」と指さした子が私であり、私が「It’s me」と言うと二人とも笑い出した、そんなことがあったことをたった今思い出した。 今思い出されるに、場所は日の当たる兄の部屋だった気がするが、新海誠監督のアニメのような、きらきらと輝くオレンジ色の郷愁の光に満ちていた。 記憶の美化だろうか。 数日間の滞在を終えて彼女はマレーシアに帰った。 度々、父や母の元にはEメールが来ていたそうだ。 いつだったか、家族でマレーシアにも行った。 ワニが出るという川に、とても汗臭いライフジャケットを着て、fire Fly(ほたる)を見た。 彼女はその時の彼氏を連れてマレーシアを案内してくれた。 そして私たちは社会人になり、彼女は自分のお金で度々日本に来るようになった。 たぶん1年に1度とか、そういう頻度で来ていた。 シンガポールで働くようになったそうだ。 そのうちの2回ほど東京で会って、お酒を飲んだりした。 お父さんはがんで死んでしまったよ、と伝えると、おかあさんはだいじょうぶ?と聞いてくれた。 私は「She is cute!!」「It’s me」の頃から英語力が変わっていないどころが、格段に落ちているので、全然離せないのだが、彼女はいつも快活に会話をしてくれた。 そしてまた時は進んで、私に息子が生まれ、ちょうど日本に来ていた彼女は息子を見に家まで来てくれた。 私も結婚したけれど子どもが出来づらい体質なの、と言っていた。 その翌年、彼女に子どもが産まれたことをFacebookで知った。 そしてその2年後、彼女にまた子どもが産まれたことをFacebookで知った。 そして一昨日。 シンガポールから、旦那さんと娘さんを連れて家まで来てくれた。 高校生だった私たちは母となって、子どもたちを遊ばせている、そんな風になった。 今度はシンガポールに行くね、ぜひぜひ来てね家に泊まって!という会話をした。 そろそろ海外旅行したいと思っていたので、本当に行こうかと予定を考えてみたり想像してみたりした。 いもうとにこのことを話すと、うちも行く!ということで、そうなると総勢何人の大所帯になるだろうか。 息子の初飛行機は海外になるのだろうか。 熱いうちに計画が練られれば、2月に行くことになるかもしれない。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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