梅雨の匂いがする。
久しぶりにカレーを煮込む。 いつもは市販のルウの半分の4,5皿分を煮るが、明日から土日なのでえいやと8皿分を煮込むことにした。 息子は大人用のルウでも甘口ならば難なく食べられる。 彼が難なく食べられないのは、細かく切ったはずの玉ねぎやにんじんである。 味というよりかは口当たりが気にくわないと一旦もぐもぐしてからでもべえっと出てくる。 こちらは、おいコラッとなるのだが、同時に言い知れない悲しい気持ちにもなることをもう何百回と経験済みなのでなるべく何も言わずに淡々と片付けることにしている。 食べ物を粗末にされた、せっかく作ったのに吐き出された、息子のエネルギーとなるはずがならなかった、今後この子は食べ物と上手く付き合っていけるのか、吐き出した分の少しのお金だって勿体ない、等々がぼわっと一緒くたに沸き上がって、酸素を上手く体に取り込めないような大きなストレスを感じることになる。 これは大げさに言っているのではなく、私が冷静に考えるよりもずっと、私の心がダメージを受けてしまうのである。 食べることと息子、食べることと私、食べることと子育て。 まだ判然としない何かがここにはあるのだろう。 まあ一番大事なことは「食べれば何でも良い」ということだ。 食べない子どもを持つ親がよく言うことだ。 チョコレートでもスナック菓子でもクレープでもジュースでも、とにかく食べないよりは安心だ。 ということで、カレーの玉ねぎとにんじんをミキサーにかけることにした。 玉ねぎにんじんペーストが思いのほかきれいな色になって、日常の感動を見た気がした。 オレンジと黄色の中間のような、サフランライスのような鮮やかな色。 じゃがいもがなかったので代わりにブロッコリーを刻んで入れた。 ミキサーにかけなくて大丈夫だろうかという一抹の不安がよぎったが、すでにミキサーはシンクにあるのでそれを再度引き上げる労力に負けてしまった。 しかしそのおかげで、サフランライスの黄色に鮮やかな緑がちりばめられてより一層美しくなった。 牛肉が安かったので、珍しくビーフカレーである。 牛肉は高いからというのもあるが、夫も私も牛肉が最も好きというわけではないので滅多に買わない。 牛肉を買うのは、年に数回程度だろうか。 私においては良いと言われる高価な牛肉ほど苦手で、高級焼き肉も高級すき焼きも、万歳して喜ぶことはない。 まあ行くのは吝かではないけれど、量があまり食べられないのである。 そうこうしているうちに牛肉にも火が通ったので、水を入れてぐつぐつしている間にこれを書いている。 時々灰汁を取りに戻ったりなど。 ルウを割り溶かし、息子が食べてくれると良いなあと、温かい母の愛情を木べらから伝えて、かき混ぜる。 期待は禁物。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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