千葉県佐倉市にあるDIC川村美術館に出向く。
東京駅から直行バスが出ていて、所要時間は約60分。 朝9時前に息子を保育園に預け、17時のお迎えまでに確実に帰ってくるという弾丸プラン。 そもそも保育園というのは、両親ともに就労していることが子どもを預ける条件である。 私のような自営業というか自由業は時間にかなりの融通が利くので、日中は様々なところに出かけて行ったり、人と会ったりすることが可能である。 個人事業主のオンオフは非常に曖昧であり、常に何をしていても仕事をしているようなしていないような、すべてが延長上にあるというか、言うなればそんな風である。 美術館に行く、ということは自分の趣味的な部分もあれど、十分に仕事とも言える活動であると思う。 ここ2,3年、私にしては熱心に「美術」を勉強してきた。 大いなる美術コンプレックスの私が、自分の活動も美術の一環であると認識してから、もっと多くを知る必要があると自覚し、そのコンプレックスを少しずつ少しずつ克服しつつある。 「美術」の勉強のために具体的に何をやったかと言えば、自分の創作活動を行うこと、美術館・ギャラリーに足を運び作品鑑賞をすること、美術史についてネットや本で学ぶこと、そういったことのアンテナを張って暮らすこと。 最初は宇宙語のような用語や作家の名前が出てくることに辟易としていたし、インクをまき散らしただけの作品の良し悪しというものが肌感覚的に全く分からなくて、途方に暮れていたこともあった。 しかしながら、私は作家の端くれでもあるわけで、自分がやっていることややりたいことと照らし合わせるなどしながら、絵画や彫刻などを手当たり次第に観ていくことに努めた。 しかし観るだけでは埒が明かないとようやく気付いて、苦手な読書を始めた。 本を読んでもすっと理解できるわけは毛頭ないのだが、言語的に仕入れた情報と、鑑賞時の情報がちらほらと繋がり始めたとき、私は本の価値を確信した。 大海に散らばっている何かを自分の中で分類できるようになってくると、濃い霧が少しずつ晴れて視界が開けるような気分がしてくる。 それは人間らしく生きている喜びのひとつと言って良いのではないかと思う。 あらゆる書作品について、私がそれなりに自信を持って自分なりの見解を持てるようになるまで、書道を本格的に始めてからおよそ10年かかった。 絵画全般についても、本当にようやく、その良し悪しが分かりかけているような気がする。 それは一見無秩序に置かれたインスタレーションでも、これが100万円?というようなぐちゃっとした抽象絵画でも。 この場合の”分かる”ということをまだいまいち明文化できないのだが、自分の中の鑑賞において、少なくとも、何かしらの作品についてコンプレックスゆえの逃げを発動せずに済むようになってきた。 今はその良し悪し(好き嫌いも含むがそれに限らず)のみの判断が何とか言えるようになったが、何か作品について言葉で表現できるようになるのが次のステップであろう。 DIC川村美術館は、素晴らしい美術館であった。 東京から60分とは言え、美術館の周りは本当に雑木林と田んぼばかりで何もない。 平日はおそらく1日30人ほどが来館すれば良い方だろう。 建物も、係員も、バス運行も、併設のレストランも、果たしてどうやって経営的に成り立っているのかおよそ見当がつかないほど、荘厳で管理や手入れが行き届いていた。 京橋にあるブリヂストンのアーティゾン美術館もそうだが、有り余る富を手にした企業のトップが美術に興味がある場合は、そちらに手を伸ばすこともしばしばである。 その有り余る富のおかげで、私たちはたった1300円などという超安価で、歴史的作品を鑑賞することが可能になっている。 文字通り、有り難し、である。 佐倉は十分遠かったけれど、是非また行きたい。 何でもそうだが、1回観るのと、複数回観るのは全然違った発見があるものだ。 足繫くとまではいかずとも、予定を調整してでも度々足を運ぶ価値のある場所である。 レストランのご飯が美味しい、というのもある。 何かを”分かる”ために、遅々と一歩ずつしか進めないけれど、一歩ずつでも進んでいると信じられないほどに遠くまで行くことが出来る。 それは希望と呼んでも良いだろう。
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|