息子が初めて歩いた。
不意なことだった。 げらげら笑っている息子を立たせて、「さあ来い」と歩く練習をさせようとしていたのだから、不意ということもないのだが、さっぱり歩くと思ってはいなかった。 とて、とてて、と2,3歩進んで私に倒れこんできた。 初めの一歩の瞬間を、もしかすると保育園で迎えてしまうかもしれないと思っていたが、しかとこの目に焼き付けることができた。 夏休み最終日の夫もそこにいて、目をまん丸くして、酔っぱらっているときと同じような表情をしていたのが可笑しかった。 子が歩く瞬間というのはこの世に溢れかえっていると思うが、その多くの親がするのと同じようなリアクションを我々もした。 「わーーーー!歩いた歩いた!!すごいすごい!!!やったやった!!!」そんな月並みな言葉たちは、驚嘆と歓喜に満ちていた。 泣こうと思えば泣けたようなきがするが、息子はげらげら楽しそうなので続けて歩かせてみた。 こんなに感動するものなのかと、自分の感動ぶりに感動を覚える始末である。 翌日の今日もまだ昨日の感動がほかほかと心の内に留まっている。 夏休み明けの息子は、今朝保育園の引き渡し時に泣いていた。 今頃お昼寝をしているだろうか。 ところで短い夏休み、私たちは三人で都内のホテルに宿泊をした。 ホテルは駅前の大きめのホテルだったのだが、全然客がいなかった。 日曜日、月曜日、火曜日、だったからということもあろうが、それにしても閑散と惨憺たる有り様であった。 ワンフロアに我々ともうひと組いたか、いなかったか、そのくらいである。 朝食時も、ひと組、ふた組と出くわしたのみである。 レストランもまた然り。 2泊くらいでどうにかなるものでもないけれど、各々が各々の責任を請け負いながら、文化的に豊かな生活を送るために微力でも動くことは大切なことだろう。 それに、都内の旅行は交通費がほとんどかからないという点で、同じくらいの予算で旅行の質を上げることもでき、なかなか良いものであった。 大江戸博物館も北斎美術館もすみだ水族館も、何でもない土日に出向くことはなかっただろうと思うが、特に大江戸博物館は2時間では見切れないほどの充実さであった。 また散歩好きな我々は、いつもの半径3-5キロメートルほどの範囲には既に飽き飽きしているので、新しい地の散歩はそれだけでも楽しいものである。 しかし、暑くなければ、だが。 偏食の息子は食べるものに困ったが、息子のための和室でふすまを開け閉めしたり、布団でごろごろしたり、それなりに楽しんでいただろう。 ホテルの朝食のスクランブルエッグに持ち込みのひきわり納豆を混ぜているのは、少しも優雅ではなかったけれど。 今朝からまた保育園に行って、私はようやくまたひとりになれた。 昼寝などしている暇はない。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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