今期のドラマは「監察医朝顔」と「偽装不倫」の2つを観ている。
後者は先日最終回を迎えた。 どちらも観ようと思って見たわけではなく、ずっと前の何かの録画予約がそのまま継続されてかれこれ2年ほど経っているだけである。 ちなみに「ノーサイドゲーム」の録画もあったのだが、1話の段階で頭に入ってこないので見るのを止めた。 最後まで観ておいてなんだが、「偽装不倫」はなんて面白くないドラマなのだろうと思いながら、それでもあのドラマに存在した“ぎこちない違和感”が止められなくて見続けていた。 息子をあやしながら観るので物語がライトな方が見やすかったというのもあるが、何とも力強い“ぎこちない違和感”に引きつけられていた感じがある。 “ぎこちない違和感”というのは、少なくない居心地の悪さ、ある種の気持ち悪さ、と言い換えることができる。 “ぎこちない違和感”の正体のひとつは、原作が漫画であることから来る実写の乖離というのはあるだろうと思う。 コミカルな展開や恋愛のときめき感などは、漫画の方がよりポップな誇張表現が可能なので向いていたのだろう。 話の内容もその展開が手に取るように分かるようなベタベタのラブストーリーである。 しかし、私が感じていた“ぎこちない違和感”は、主人公である鐘子を演じる杏にあったような気がしている。 その他の出演者の、宮沢氷魚、瀬戸利樹、仲間由紀恵、MEGUMI、谷原章介らは漫画的なキャラクターにさらりと乗っかっていたと思う。 しかし杏だけは、杏本人からにじみ出る個性が、漫画的なマットな質感の演技と実写のウェットな質感の演技にこそばゆいような絶妙な不協和音が奏でられていた。 そもそもドラマは作りものだし、私は全然演技などには明るくないので、杏の演技の不協和にありえないとか嘘くさいとか言うつもりは毛頭なくて、私自身があのような“ぎこちない違和感”改め”こそばゆい不協和”にどこかしら引きつけられることに興味がある。 ちなみに、「監察医朝顔」には主人公朝顔一家の家族のやりとり全体について、似たような”こそばゆい不協和”が存在している。 我ながら不協和音悪趣味だと思う一方で、この”こそばゆい不協和”というものが一体何であるのか、自分の創作にあたっても何か鍵が隠されているのではないかと思っている。 違和感や奇妙さ、居心地の悪さ、気味悪さ、気持ち悪さ、不協和、そこに“こそばゆい”というような少しの捻じれた明るさを加えたような、そんな風合いが私の好みというものなのかもしれない。 「偽装不倫」については何処まで見ても物語はさっぱり面白くなかったという私の評価は変わらないのだが、「ノーサイドゲーム」のように1話で見切りをつけられるよりは作り手としては成功だったと言えなくないのかもしれない。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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